巻2第40話 曇摩美長者奴富那奇語 第(四十)
今は昔、天竺(インド)に放鉢国(ほうはちこく)という国がありました。その国に一人の長者があり、名を曇摩美(どんまみ)といいました。たいへんな富豪で、その国第一の人でした。二人の子があって、兄を美那(みな)、弟を勝軍(しょうぐん)といいました。その家にひとりの婢(やつこ、下女)がありました。長者を養い家業を助ける仕事です。婢には一人の男子があって、名をば富那奇(ふなき)といいました。
長者が亡くなると、富那奇は兄の美那に仕えることになりました。美那もまたたいへんに富み、父の長者に勝るほどでした。
富那奇には出家の志があり、美那にこれを願い出ました。美那はこれを許しました。富那奇は出家すると道を修し、やがて羅漢果を得る(聖者になる)ことになりました。
その後、美那の家に来ました。「仏の御為に堂を造りなさい」とすすめられました。美那、勧めに随い、栴檀(白檀)で堂を造りました。さらに富那奇がすすめました。
「仏と比丘僧を招いて、供養しなさい」
美那は問いました。
「仏と比丘僧を招くのはいつがよろしいでしょうか。遠いところですから、すぐに来るというわけにはいかないでしょう」
富那奇は美那と共に高楼に登り、香をたいて、仏がいらっしゃる方向に向けて呼びかけました。仏はその心を知り、多くの弟子たちをつれて、神通力(超能力)に乗じてやってきて、金の床に坐しました。美那はさまざまな飲食をもって、仏と比丘僧を供養しました。食事が終わると、仏は法を説きました。多くの民が集まり、家の上下の男女ともに法を聞き、道を得ました。
この様子を見て、阿難(アーナンダ、釈尊の身の回りの世話をした弟子)は問いました。
「富那奇は昔、どんな罪をつくったために今、奴隷として人に仕えているのですか。また、どんな福徳を殖えて、仏に会い、道を得ることができたのですか」
仏は答えました。
「昔、迦葉仏(過去七仏)の時、一人の長者があった。比丘僧のために寺をつくり、飲食・衣服・臥具(寝具)・医薬の四事を供養して、貧しいと感じさせることがなかった。しかし、長者の死後、寺は荒廃して人が住まなかった。僧たちも散り散りに消えてしまった」
長者に子があった。出家して道を学んだ。名を自在という。寺がこのように荒廃しているのを見て、多くの人の寄進を求め、寺を修治した。寺には僧が戻ってきて以前のようににぎわった。その中に、羅漢(聖者)の比丘があり、寺の庭の塵を払い清めていた。長者の子の比丘は、この羅漢の比丘を理由なくののしった。これが今の富那奇えある。羅漢の比丘に罵詈を浴びせたために、五百生を常に人に随う奴隷となった。また、寄進を集めて寺修治したために、前の罪をつぐなってから私に会い、道を得ることになった。今、法を聞くために集まってきた民と、家の上下の人は、みな勧めを得て寄進し、寺を修治した人である」
そう説いたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【校正】 草野真一
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