巻2第26話 前生持不殺生戒人生二国王語 第(廿六)
今は昔、天竺に国王がありました。子がありませんでした。仏神に祈請し、子を授かるよう願ううち、后が懐妊しました。月が満ちて、子が生まれました。端厳美麗な男子でした。国王はおおいに喜び、大切に養育しました。
ある日、国王の行幸がありました。后と皇子も同行しました。
大きな河を渡るとき、この皇子をあやまって河に落としてしまいました。王はもちろん、家中の者はみな大騒ぎして、探し回りましたが、底を見た者がないほど深い河ですから、見つけようがありませんでした。王は哭き悲しみましたが、どうしようもなく都に戻りました。王は子を思い止む時もなく、恋い、悲しみ、かぎりなく歎きました。
さて、この皇子は、河に落ちるとたちまち巨大な魚に呑まれてしまいました。魚は皇子を呑んだまま、深い河底を、下流に向かって泳いでいきました。やがて魚は隣国との境の内に入りました。漁師が漁をするところに行き、捕まりました。漁師は「大きな魚を得た」と喜んで、すぐにまな板に魚を乗せて、さばこうとしました。まず腹を割ると、腹の中から声がします。
「腹の中には私がいる。刀を深く入れて割いてはいけない。慎重に刀を入れてくれ」
魚を切る者は、この声を聞いて驚き怪しみ、傍の人々にこのことを告げ、細心の注意をはらって刀をあて、腹を押し開きました。腹から端正美麗な男子が出てきました
見る者はみな、奇異の思いを抱かずにはいられませんでしたが、子が端正であったので、喜びながら抱き上げ、湯に沐させました。ただの人には見えません。その界隈の者が多く集まってきて、大きな騒ぎになりました。
その国の王はこのことを伝え聞き、児(ちご)を召しました。見ると、このうえなく端厳美麗です。王は思いました。
「私は子がなく、位を継ぐべき者もない。仏神に祈請して、子を授かりたいと願っていた。今、我が国の内に、かかる者が出来た。これは私の位を継ぐために、仏神が給わったにちがいない。この子の体を見ても、ただの人ではない」
たちまちに御子の宮をつくり、大切に育てました。
やがて、この子を流してしまった王の耳にも、このことは自然に入りました。
「その子は、まちがいなく我が子であろう。河に落ち入ったとき、魚が呑んだのだ」
王は隣国に使いをやって、これを述べ、子を乞いました。
隣国の答えがかえってきました。
「これは天道から給わった子である。遣ることはできない」
互いに諍っておりましたが、二国の隣国に、やんごとない大王がありました。ふたつの国はそれぞれこの大王に随っていました。二国の王はそれぞれが大王に訴え、「大王の決定にしたがいます」と申しました。大王は言いました。
「二国の王がそれぞれに訴えたことはもっともである。一人の王が子を得るとはとても決められない。両国の境に城をひとつ造り、その城にこの御子を据え、それぞれの国が太子として、親として、養い大切にするとよい」
二人の国王はこれを聞いて、ともに「そのとおりだ」と喜びました、それぞれ自国の太子として育て護りました。後に太子はそれぞれの国王となり、二国を領知しました。
仏は説きました。
「この人は、前の世に人として生れたとき、『五戒を保つ』と考えた。しかし、五戒を保つことができず、ただ不殺生の一戒だけを守ったため、今、中夭に会わず(夭折せず)、命を保つことができ、ついにふたつの国の王となり、ふたりの父の財宝を得たのだ。ひとつの戒でもこうなのだから、五戒を保った人の福徳はかぎりないものである」
そう説いたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【協力】ゆかり
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