巻2第41話 舎衛城婆提長者語 第四一
今は昔、天竺(インド)の舎衛城(コーサラ国の首都)に一人の長者がありました。名を婆提(ばだい)といいます。家は大いに富み、無量の財宝にあふれていました。飲食・衣服・金銀などの珍しい財宝が倉に積みあげられ満ちていて。数えることさえできませんでした。
家が富んでいても、長者は慳貪(吝嗇。けち)の心が深く、自分のための飲食や衣服にさえ気を遣わず、とても異様な風体をしていました。また、妻子・眷属(友)・兄弟・親族に、塵ほども物も与えませんでした。むろん、沙門・婆羅門などに布施することもありません。
やがて、長者の命が終わるときが来ました。そのとき、家の内の財宝はみな公物となりました。その国の波斯匿王(はしのくおう、プラセーナジット王)は、自ら婆提の家に行き、すべてを徴収しました。
王は仏の御許に詣で、問いました。
「婆提長者は今日、命を終えました。生きている間は、慳貪であり、邪見の深い人でした。命が終わった後は、どんなところ(世界)に生まれることになるのでしょうか」
仏は答えました。
「婆提長者の過去の善根はすでに尽き、新しい善根は未だ植えられていない。邪見だけがあり、善根を断ってしまった。叫喚地獄に堕ちる」
王はこれを聞いて、涙を流しました。
王は重ねて仏に問いました。
「婆提長者は過去、どんな業をつくって、福貴の家に生まれ、無量の財宝を得ることになったのですか。また、どんな悪をつくったために、慳貪・邪見となり、地獄に堕ちることになったのですか」
仏は答えました。
「昔、迦葉仏(過去七仏)が涅槃に入ってから、長者は舎衛国に生まれ、田家(農家)の子となった。ひとりの辟支仏(仏の教えによらず悟る者)が食を乞うた。長者は食を辟支仏に施し、願を発した。
『私はこの善根によって、生々世々に(何度生まれ変わっても)三塗(地獄・餓鬼・畜生の世界)に堕ちず、常に財宝に富み、布施を行じよう」と誓った。
しかしその後、この誓いを悔いる心ができた。
『私は、奴婢には食を与える。しかし、頭の禿げた沙門などには施しを与えない』
婆提長者は前世に辟支仏に食を施して願を発した功徳によって、生まれるところは常に財多く、乏しいということがなかった。しかし、その後それを悔いたことによって、財があっても衣食を好まず、常に異様なすがたをしているようになった。妻子・眷属・兄弟・親族に物を与えることはなく、慳貪・邪見であり、ついに地獄に堕ちたのだ」
このことをもって知るべきです。比丘に布施を行ずるときには、露ほども惜しむ心があってはなりません。歓喜して施すべきであると、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
古代インドでは後継者がない場合(男子がない場合)、財産はすべて国に徴収され、公物となりました。すなわち、子をもち家庭をもつことがなかば強制されていたわけです。
この政策をほめるつもりは毛頭ありませんが、これなら絶対に少子化が進行することはありません。
なお、落語の『味噌蔵』はケチゆえに奥さんを持つのが嫌な人の噺です。

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