巻二十六第八話② 消沈する美しい妻(生贄になった男②)

巻二十六

より続く)

巻26第8話 飛騨国猿神止生贄語 第八

郡司の家ほどは大きくありませんが、みごとに飾られた家でした。男女の使用人が多くありました。使用人たちは僧の来訪を待ち喜び、走り騒ぎました。浅黄の男は、板敷の上から「はやくあがってください」と言いました。背負った笈(おい)をおろして傍に置き、蓑笠(みのかさ)・藁沓(わらぐつ)などを脱いで(修行者の扮装)、僧をよくしつらえられた場所に座らせました。
「はやく持ってきなさい」
そういうと、魚や鳥をあしらえた豪華な料理が運ばれてきました。僧はこれを見て、手をつけずにいると、浅黄の男はたずねました。
「なぜ食べないのですか」
「幼くして法師になりました。このようなものを食べたことがないので、見ているのです」
浅黄の男は言いました。
「なるほど、ごもっともですね。しかし、今はここ(この世界)にいらっしゃるのです。召し上がらなければ、生きていることはできません。ところで、私にはかわいがっている一人娘があります。未だ独り身で、年頃になりました。もらっていただけませんか。今日からは、その御髪も伸ばしてくださいませ。そうしたからといって、今は外へ行くこともないのですから、とがめる人もないでしょう。私のいうことに随ってください」
僧は思いました。
「ここで逆らって異心を示したならば、殺されるかもしれない」
怖ろしく感じ、逃げる場所もありません。
「やったことがないことなので、このように申したのです。今はただ、仰せにしたがいます」
家主はとても喜び、自分の食事も運ばせて、二人で差し向かいで食べました。僧は「仏は(戒律を破った自分を)どう思われるだろう」と思いましたが、魚も鳥も食べ終えました。

その後、夜になると、二十歳ほどのすばらしい装束をまとった美しい女が入ってきました。家主は言いました。
「これを奉ります。今日からは、私がするようにかわいがってあげてください。一人娘です。あなたを大切に思っています。私の志を推し量りください」
僧は言い返すこともできず、娘と契りました。

僧と娘は夫妻として月日を過ごすことになりました。こんなに楽しいことがあるのかと思いました。望んだ衣服を着ることができましたし、食べ物はどんな珍味でも食することができました。以前とは別人のように太りました。髪も、(もとどり)を結えるほどに伸びましたから、引き結び上げて烏帽子をかぶりました。その様子は清々しく男ぶりもよく、娘はこの夫を深く愛しました。夫も女の気持ちを知って、離れがたく思いました。夜昼、起臥をともにして暮らしているうちに、八か月が経ちました。

しかし、そのころから妻の顔色が悪くなり、物思いにふけることが多くなりました。家主は、前よりもさらに面倒見がよくなり、
「男は肉がついているのが吉ですよ。もっと太りなさい」
日に何度も食事を勧めました。太るにしたがって、妻はさめざめと泣くこともありました。夫はこれあやしく思い、問いました。
「何を思っているのか。どういうわけか」
「ただ、すこし心細く思えるだけです」
そう言って泣きますが、夫も理由がわからず、あやしく思いましたが人に聞くことができずにおりました。そうして過ごすうち、家主に客人がありました。

世間話をしているのを、立ち聞きしてしまいました。客人が言いました。
「賢く、思いがけぬ人を得ましたね。娘さんが幸せになられたことは、さぞや嬉しいことでしょう」
「まったくです。あの人を得ることができなかったなら、今頃どんな心持ちだったかわかりません。今のところ、家を手に入れることはできていませんので、来年はどんな思いを抱えているかわかりません」
こう語って客が帰ると、家主は奥に立ち戻り、
「食べものを差し上げたか。存分に食べてもらえ」
と言って、食物を持ってこさせました。それを食べるにつけても、妻が歎き泣くわけがわかりません。「客人の言っていたのはどういうことだろう」と、怖しく思いましたが、妻に問うても、なにか言いたいような様子は見せるものの、語ってはくれませんでした。

このころ、郷の人々が急ぐ様子で家ごとに饗膳(ごちそう)を調えはじめました。日がたつにつれて、妻が泣くことも増えてきました。
「泣くにせよ笑うにせよ、小さなことでも私に隠し事はしないと思っていたのに、これほどよそよしくするのはひどいではないか」
恨み泣いて言うと、妻も泣きながら言いました。
「隠し事をしようとは思っていません。ただ、あなたの姿を見て、あなたの声を聞く時間が、もうすこしで終わるのが悲しくて仕方ありません。これほど仲むつまじくならなければよかった」
「私が死ぬことを言っているのか。それは人であれば逃れることのできないものだ。苦にすることではない。しかし、それ以外のことであれば、どんなことがあるのか。言ってくれないか」
妻は泣く泣く答えました。
「この国には、おそろしいしきたりがございます。この国には霊験あれたかな神様があり、人を生贄にして食べるのです。あなたがここにいらっしゃったとき、誰もが『我が家に来てくれ』と言ってあなたを欲しがったのは、生贄にしようと思ったからです。毎年、一人の人が生贄を出す当番になります。その生贄を探し出せないならば、どんなに愛していても自分の子を差し出さねばならないのです。あなたがおいでにならなければ、私が生贄になったでしょう。今は、私がかわりに神に食べられようかと思っています」
「そんなことで泣いていたのか。大したことではない。生贄は、人が調理して神に備えるのか」
「いえ、そうではありません。生贄を裸にして、まな板の上に横たわらせ、瑞籬(ずいり、神聖な場所にめぐらせた垣)の内に入れると、人はみな去ります。神が調理して食べると聞きました。痩せ細りくたびれた生贄を出せば、神が荒れます。作物も育たず、人は病み、郷も平和ではありません。あなたを何度も食べさせていたのは、肥え太らせるためです」

夫は大事にされた事情を知りました。
「それで、生贄を食う神はどんな姿をしているのか」
「猿の姿をしていると聞きました」
夫は妻に言いました。
「私に、よい刀を準備してくれないか」
「たやすいことです」
刀ひとふりを用意しました。夫はその刀を得て、何度も研いで、隠し持ちました。それから、男は以前よりずっと元気になり、よく食べよく太りました。家主も喜びましたし、それを聞く者も、「郷は吉を得るだろう」と喜びました。

に続く)

【原文】

巻26第8話 飛騨国猿神止生贄語 第八
今昔物語集 巻26第8話 飛騨国猿神止生贄語 第八 今昔、仏の道を行ひ行(ある)く僧有けり。何くとも無く行ひ行ける程に、飛騨国まで行にけり。 而る間、山深く入て、道に迷にければ、出づべき方も思えざりけるに、道と思しくて、木の葉の散積たりけるうへを分行けるに、道の末も無て、大なる滝の、簾を懸たる様に、高く広くて落た...

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

現代日本ではあまり実感できないが、「太っている」ことは栄養状態がよいことを示し、豊かであることを意味していた。豪奢な住宅や高級外車と同じような、ステイタス・シンボルだったのである。このような価値観を持つ国は、現代でも数多く存在する。

巻二十六
スポンサーリンク
スポンサーリンク
ほんやくネットをフォローする
スポンサーリンク
今昔物語集 現代語訳

コメント

タイトルとURLをコピーしました