(③より続く)
巻26第8話 飛騨国猿神止生贄語 第八
生贄を出した家の家主は、「私が出した生贄に問題があったのだろうか」と冷静ではいられず、怖ろしく思っていました。生贄の男の妻は思いました。
「夫は刀を隠して持っていった。このように火の出たのは、そのせいだろう」
怖ろしく、気が気でない思いでした。
生贄の男は、四匹の猿を縛り、前にして追い立てて歩きました。裸で、ざんばら髪で、葛を帯にして刀をさし、杖を突いて郷に入りました。家々の門をのぞいてみると、郷の家々の人が恐れ迷っていました。
「あの生贄の男は、御子たち(猿)を縛って、前に追い立てて来る。たいへんなことだ。これは、神にも勝る人を生贄に出したということではないか。神でさえこのありさまなのだ。私たちはどうなってしまうのだろう」
生贄の男は舅の家に行き、「門を開けてください」と叫びましたが、答えがありません。
「開けてください。開ければ、悪いことはありません。開けないと、よからぬことが起こります」
さらに門をたたくと舅は出て来て、娘を呼び出しました。
「おそろしい神にも勝る人なのだ。もし、私の娘を悪く思っていたらどうしよう。娘よ、門を開いて、なだめてきておくれ」
妻(娘)は怖しく思いながら、夫の帰還を喜んでいました。男が門を無理矢理に細目に開くと、妻が立っていました。入って言いました。
「私の服を持ってきてくれ」
妻は家に入り、狩衣・袴・烏帽子などを持ってきました。男は猿どもを家の戸の下に強く結わえて、戸口で服を着て、弓・胡録(やなぐい)をとって、それを背負いながら、舅を呼び出して言いました。
「こんなものを神と呼んで、毎年人を食わせるなど、たいへん馬鹿げたことです。これは猿丸(猿の擬人化表現)といって、人の家につないで飼えば、人になぶられる一方であるのに、そのことを知らず、毎年人を食わせるなど、たいへんに愚かなことです。私がここにいるかぎりは、こんなものに大きな顔はさせません。私に任せてください」
言いながら、猿の耳をつまみました。猿は痛さをがまんしています。その様子は、とてもおかしいものでした。
「この人にさからうことはできない」猿たちは思いました。
「私たちは、このようになるとは思っていませんでした。今は、あなたを神だと仰ぎ奉り、身を任せます。仰せのままにします」
猿たちは手を摺りあわせながら言いました。
「では行こう。大領(郡司。あえて敬称をつけていない)の家へ」
男は舅とともに、猿丸どもを前に追い立て行き、郡司の家の門を叩きました。門は、開きませんでした。
舅といっしょに言いました。
「ここ(門)を開けてください。伝えねばならぬことがございます。門を開けなければ、よくないことが起こります」
怖ろしさのあまり、大領はふるえながら門を開け、生贄の男に土下座をしました。生贄の男は、猿どもを家の内に引きいれ、目をいからせて言いました。
「おまえたちは長年、神だといつわって、毎年ひとりずつ人を食い、その命を奪った。改心せよ」
弓箭(弓矢)をつがえて射ようとすると、猿どもは叫び声をあげ、手をすりあわせて迷いました。大領はこれを見て怖ろしくなり、舅のもとに近寄って問いました。
「私も殺されるのですか。助けてください」
「大丈夫です。私がついておりますから、そんなことはございません」
大領が頼もしく思っていると、生贄の男は言いました。
「よし、おまえたちの命は助けてやる。これから、このあたりで人に悪さをするようなことがあれば、必ず射殺してやるぞ」
杖でそれぞれ二十度ほど打ち、さらに郷の者を集めて、社を壊し、焼き払わせました。四匹の猿は、祓って追放しました。猿たちはびっこをひきつつ、山深く逃げ入って、二度と姿を現しませんでした。
生贄の男は、その後、郷の長者となり、人々を指導し、妻とともに暮らしました。こちら(日本)にも、時折ひそかに通っていましたから、この話は語り伝えられることになりました。
もともとこの国には、馬も牛も、犬もいませんでした。「猿がふたたび悪事を働かぬように」犬の子が、「農耕のために」馬の子が入り、それぞれが子を産んで増えてました。
「飛騨国のそばに、このような国がある」ことは伝えられましたが、(近隣の)信濃国の人も、美濃国の人も、行くことはありませんでした。郷の人がひそかにこちらに渡ってくることはありましたが、こちらから行くことはなかったのです。
僧が迷ったためにその国に入り、生贄を止め、自身も住んだのは、みな前世の報であると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
猿をひきつれた男が裸でざんばら髪の異様の風体をしているのは、男が新しい神となったことを示している。郡司が大領と呼び名が変わっているのは、敬称を廃することで、男のほうが敬うべき存在となったことを表現している。
コメント