巻二第三十三話 目も耳も舌もなく生まれた子が財を得た話

巻二(全)

巻2第33話 天竺女子不伝父財宝国語 第(卅三)

今は昔、天竺(インド)に国がありました。その国の習いとして、女子は家の財宝を得る権利を持っていませんでした。相続の権利を持っていたのは男子だけでした。もし、その家に男子がなければ(死んでしまったならば)財産はすべて国に納められました。それがこの国の習いでした。

その国に財産家がありました。家は大いに富み、多くの財がありました。しかし、女子が五人あるばかりで、男子はありません。その人が死んだなら、財産はすべて公のものになります。
ある日、妻が懐妊しました。家の人はみな「男子が生まれてほしい」と願いましたが、父たる人が突然に亡くなってしまいました。国の使が来て、財宝を納め置いた庫倉にことごとく封をしてしまいました。

そのとき、長女が王に申しました。
「懐妊したのが男子であるならば、父の財を伝えるべきです。とはいえ、公物になった後では、たとえ男子が生まれても、返すべきではないでしょう。この子が生まれるまで財に封をしておいて、子が生まれてから、女子ならば公物となり、男子ならば父の財を伝えると決めてはいかがでしょうか」
王は言いました。
「私も然るべきと思う。子が生まれるまでしばらく待とう」

しばらくたって、子が生まれました。男の子でした。五人の姉はもちろん、家の人はみな喜びました。ところが、児の顔を見ると、目はふたつともなく、耳もなく、舌もありません。みな、奇異に思いました。男子が生まれたことを喜んでいたのに。
「このような片輪者として生まれたことを、どうすればいいだろうか」
みなが歎いているときに、長女が言いました。
「まず、このことを王に申しあげて、仰せに随いましょう」
ほかの四人の娘も納得し、「そうしましょう」と言って、王にこの児のありさまを申し上げました。

王はこの話を聞き、申しました。
「生まれた子は片輪者ではあるが、男子であるのだから、父の財を伝えるべきである」
やがて公使がやってきて、つけた封を解きました。
「生まれたのは男子である。父の財を伝えなさい」
そう言って去りました。五人の女子は、これを聞いてかぎりなく喜びました。

こうして、五人の女子は家の財を心に任せて使用しました。
「このような片輪者であるけれども、この児の財である」
家の内の人も、世の人も、国のうち誰もが挙げて褒め称えました。

そのとき、長女の夫が言いました。
「今は財を家に留めておくことができた。これはひとえにこの片輪児の徳だ。しかし、わからない。この児はこのような片輪者の身に生まれながら、財の主となった。この児の宿業を知りたい」
仏の御許に詣で、問いました。
「この児は男子でしたから、父の財を得ることができました。しかし、この児には目がなく、耳がなく、舌がありません。これは前世のどのような報なのでしょうか」

仏は答えました。
「よく聞きなさい。無量劫(一劫は宇宙が誕生し消滅する時間)の過去に国があった。その国に兄弟二人があった。兄は国の賢人として尊敬され、公の人はもちろん身分の低い人まで、『この人は正直で、虚言することはない』と、世を挙げて信じていた。弟は財を多く持ち、世の人にこれを借して、利息を得ていた。家はますます富んだ」

「また、一人の人があって、常に船を出して財を求め、財の多い国に行って財を買い、帰国して売ることを業としていた。例のごとく、財を得ようと船出しようとしたが、そのための原資がとぼしかった。商人は富人である弟をたずね、金を借りた。
『金は必要なだけ貸しましょう。ただし、あなたが帰国しないうちに、私が死ぬようなことがあるかもしれません。その際には、息子に返してください』
さらにこう言った。
『兄の賢人は虚言せず、世に信頼されている者ですから、彼の前で貸しましょう』
弟は自分の子と借りる人をともなって、兄のもとに行った。金を貸すとき、弟は言った。
『この人は船出するために金を借りた。だまって貸してもいいが、人の心ははかりがたいものだ。私が死んだなら、私の子に返すべきだ。子はまだ幼いので、理解することが難しい。だから兄上の前で貸すのです。もし、私が死ぬようなことがあれば、かならず契約が成されるようにしてください。世間の人も兄上を証人にしています。まして、われわれは兄弟です。かならず契約を履行してください』
弟は商人に多くの金を貸した」

「その後いくばくもなく、弟は死んだ。商人は七年後、多くの財宝を得て帰国した。弟の子は、『いずれ金を返しに来るだろう』と思って待っていたが、まったく連絡はなかった。ある日、弟が市に出て買い物をしているとき、商人と出会った。
『帰国してしばらく経つというのに、まったく連絡がありません。なぜ、父の貸した金を返そうとはしないのですか」
商人は、心の内で思った。
『借りた金はもちろん返さなければならないと思っている。しかし、大海に出て財を得ることは、容易なことではない。財を欲する深い心があるからこそ、命を棄てて海に出て、外国を尋ね求めることができるのだ。たいへんな思いをして買い求めた財なのに、返す金額が多いのは堪えられない』
こう答えた。
『お借りした額がハッキリしません。調べてお答えします』
弟の子は言う。
『おかしなことをおっしゃいますね。二人きりで契約を交わしたわけではないのですよ。私の伯父である賢人の前で、こまかいことまでさまざまなことを取り決めて、父とあなたは契約したはずではありませんか。私はなんとも申すつもりはありません。伯父のもとに二人で行って、この件についてたずね、裁定していただきましょう』
商人は、『もっともなことです。三、四日後にまいりましょう』
と答え、その日を約して去った」

「商人は家に戻ると、夜光る玉の、とくに明るく光り輝くものを持って、かの賢人の妻のもとに行った。
『先年、財を求めて大海に出ましたが、資金が不足したので、賢人の御弟の金を多く借り、賢人を証人として、その御前にて契約して金銭のやりとりをしました。その後、帰国すると、御弟の子が『その金を返せ』と言います。道理ではありますが、返すべき金額がとても多いので、惜しく思い、返し難く思いました。それで『そんなことは覚えていません』と答えたのです。すると、その子が言いました。『それはおかしなことだ。私の父は、そのようなことを言い出したときのために、兄の賢人の御前で契約し、証人となさったのだ。賢人のところに行って、裁定をあおごう』二人で日を定めて、約して別れました。
ところで、この玉は夜、光ります。これを納めていただいて、それぞれが意見を言う際に、返さなくていいように裁くよう、とりはからってください』
玉を押し預けるようにして去った」

「賢人はさまざまな公事をすませて、日暮ごろ家に帰った。妻はこの玉を取り出して見せ、商人が語ったことを伝えた。賢人は大いに怒って言った。
『おまえは長年つれそってきて、私の心を知らないのか。まるで知らない人の心を読むようだ。すぐにその玉を返してきなさい』
妻は商人を呼び、玉を彼の袖に入れて渡した。

商人は家に戻ると、夜光る玉のさらに勝れたものをふたつ持って、賢人の家に行った。そして隙を計って、ひそかにこの二つの玉を、妻の袖に入れて去った。賢人が帰宅すると、妻はこのふたつの玉を見せて言った。
『私はこの玉を返したくはありません。あなたがなお返せと言うならば、私はあなたのただひとりの男子を抱いて、淵に飛び降ります』
賢人は胸の内で大いに弱り、
『私は知らぬ。思うままにすればよい』
と告げて立ち去った。

妻は喜んで、商人のもとにひそかに使いをやって、このことを伝えた。商人は「期待したとおりになった』と思って、弟の子と共に賢人のもとに出かけた。弟の子は、父が金を貸した日に約したことなどを、つぶさに述べた。商人は『そんなことは知りません』と、堂々と述べた。賢人は言った。
『二人の主張はたしかに聞いた。私は事実を言おう。そんなことがあったとは記憶にない』
弟の子は『そんなことはないはずだ』と思い、心の内に怒りを抱き、泣きながら言った。
『あなたは世に賢人といわれ、真実を語る者として、裁きをなさっています。だからこそ私の父も証人としてあなたを立て、御前にて契約を交わしたのです。なのに、どうしてこのように舌を返すようなことを言うのですか』
伯父の賢人は言葉なく立った。商人は喜んで去った。弟の子は悲しく思いながら立ち去った」

「その後、賢人はいくばくもなくして重病をわずらい、死んだ。この罪によって地獄に堕ち、多くの苦を受けた。ときに人と生まれたときには、舌を返した罪によって、舌もなく、ふたつの目も耳もない身で生まれた。また、財の持ち主となったのは、国の賢人として、国王はもちろん国の人がみな重くもちいたため、豊かな身となり、人に物を施したからだ。児が財をゆずり受けたのはそのためだ」
仏の説くのを聞き、長女の夫は「貴いことだ」と思い、礼拝して去ったと語り伝えられています。

【原文】

巻2第33話 天竺女子不伝父財宝国語 第(卅三)
今昔物語集 巻2第33話 天竺女子不伝父財宝国語 第(卅三) 底本、欠文。標題もなし。底本付録「本文補遺」の鈴鹿本により補う。 今昔、天竺に一の国有り。其国の習として、人に女子有れども、父が財宝を伝へず。男子、定りて伝ふ。若し、男子無き財宝をば、其の人死ぬれば、皆公け納め取らる。此れ、定れる国の例也。

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

古代インドでの財産相続について

中村元先生によれば、古代インドでは跡継ぎがなかった場合、財産は国に没収され相続されなかった。それが娘の夫でも不可能だったかどうかは、すくなくとも中村先生は語っておられなかった。ここにあるように「ある国」での特殊事情であったのか、一般的なことだったのか。調べたのだがわからなかった(チャットAIに聞いてもわかんなかった!)。くわしい人教えてください。

この慣習は、「賢人」の国でも適用されていたと思われる。「玉を返せというなら息子を抱いて淵に飛び込みます」という妻の脅迫を受けいれざるを得なかったのは、妻子を同時に失う悲しみにくわえ、彼が仕事で築いた財産を失うことも意味していたからだろう。

インドでは現在でも長子が財産をすべて相続するのが普通だ。この話のようなエピソードはたぶん今でもある。老人より若者が圧倒的に多いみごとな人口比率はこの慣習が根底にあるのかも。

「差別的表現」について

ここでは放送・印刷メディアなどで「差別的表現」とされる語句を原文そのままに使っています。いくつかの翻訳はこの言葉を削除することで対応していますが、そのかたちはとっていません。

差別的意図はまったくありません。自分はこの言葉で「差別される」側の人間です。そんなもんあるはずがありません。現行の言い回しよりこの言葉のほうが圧倒的にゆたかなのに殺しちゃう、その状況を憂えています。
要望があれば対処したいと思っていますが、こちらが納得できる理由がある場合にかぎります。安易なヒューマニズムにもとづく意見には対応できないとあらかじめ申し上げておきます。

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