巻二第二十五話 身を投げても毒をあおっても死ななかった男の話

巻二

巻2第25話 波羅奈国大臣願子語 第(廿五)

今は昔、天竺の波羅奈国(ばらなこく、ヴァラナシ)に、一人の大臣がありました。家は大いに富み、財豊かでした。
この人には子がありませんでした。このことを昼夜朝暮に歎き悲んでいましたが、子を授かることはありませんでした。

この国に摩尼抜陀天(まにばつだてん)を祀る社(やしろ)がありました。国の人はみな、この社に詣でて、心に願いごとを抱いて祈ります。大臣は子がないことを思い悩み、社に祈りました。
「私には子がありません。天(神)よ願わくば、私の願をかなえてください。もし子を給わるならば、金銀などの宝で天の宮を荘厳し、またかぐわしい香りの香薬を御身に塗りましょう。もし子を給わらなければ、この社を破壊し、厠に投げ捨てましょう」
誠の心を致して礼拝して申しました。

天神はこれを聞いて驚き、この人のために子を求めることにしました。大臣はとても身分が高く、家もかぎりなく富んでいます。その家に生まれるのにふさわしい子を、と考えたのですが、ついに適当な人を求められませんでした。思い煩ったあげく、毘沙門天のもとに詣でて、ことの次第を話しました。毘沙門天は言いました。
「私ではとうてい力がおよばない。大臣の子となるべき人を見つけられない。帝釈宮に申すべきだ」
たちまち忉利天に登り、毘沙門は帝釈に申しました。
「閻浮提(人間世界)の波羅奈国に、一人の大臣があります。子がないため、子を願い、摩尼抜陀天に祈りました。天神は子を授けられず、毘沙門天に訴えました。天王もまた子を授けられなかったので、帝釈天に申しあげました」

毘沙門天(Vaisravana) Tibetan Temple,Bodhgaya,India

帝釈はこれをつぶさに聞いて、すでに五衰が現れて死のうとする天人(天人五衰)を見つけ、召して言いました。
「汝は今まさに命を終えようとしている。かの大臣の子となり、願を満たしなさい」
天人は答えました。
「大臣は、ならびなき富を持つ人です。彼の家に生まれたならば、楽にふけり、道心(仏心)をなくしてしまうでしょう」
帝釈は言いました。
「彼の家に生まれたとしても、道心を失うことはない。私が助けて失わせない」
天人は帝釈の強い勧めによって、大臣の家に生まれました。

大臣は仏のような姿をした男子を授かり、かぎりなく喜にました。恒河達(ごうがだ)と名づけました。父母は子を手に捧げもつように大切に育て、恒河達はすくすくと成長しました。道心はまことに深く、父母に申しました。
「出家をお許しください。私がかねてから抱いている深い願いです」
父母はこれを聞いて答えました。
「私にはおまえ以外には子がない。おまえただ一人なのだ。家を継がせるために、出家を許すわけにはいかない」

恒河達はさらに深い道心を抱いて思いました。
「私は早く死のう。そして深い道心の家に生まれ、本意のように仏の道に入ろう。この身を捨てて、早く死ぬために」
ひそかに親の家を出て、山に入り、はるかに高い巌の上に登り、身を投げました。底に落ちましたが、身に傷を負うことはなく、痛みを感じることがありませんでした。さらに、大河の川辺に行き、深い淵の底に落ちましたが、死ぬことはありませんでした。食事に毒を盛っても、毒気に身を犯されることはありませんでした。

このように様々な方法で死のうとしましたが、身が破れることはありませんでした。恒河達は思いました。
「ならば私は、公の物を盗むことにしよう。事実が明らかになれば、殺されるにちがいない」
恒河達は阿闍世王(アジャータシャトル王)が多くの女官をつれて、池のほとりで楽しく遊んでいるところに行きました。女たちが脱いだ美しい衣服を抱き、そこを離れました。警備の人は恒河達をとらえ、王の前に出し、これを報告しました。

王は大いに怒り、弓をとり、自ら恒河達を射ました。その矢は恒河達に当たらず、反対に王の方に向かって落ちました。同じように三度射ましたが、やはり矢は王に向かって落ちました。
王は恐怖し、弓矢を捨てて、恒河達に問いました。
「おまえは天龍か。鬼神なのか」
「私は天龍でも鬼神でもありません。波羅奈国の大臣の子です。出家の志を抱き、父母に願い出たのですが、許してもらえませんでした。それで考えたのです。『すみやかに死んで、道心の家に生まれ、本意を遂げよう』。しかし、巌に登って身を投げても、深い河に沈んでも、毒をあおっても死ねませんでした。それで、王法を犯し、殺されようと考えたのです。そのために衣を盗みました」
王はこれを聞き、悲しく思い、出家を許しました。

王は仏(釈迦)の御許に詣でて、つぶさにこのことを語りました。仏は恒河達を出家させました。恒河達は行につとめ、阿羅漢(聖者)になりました。
阿闍世王は仏に問いました。
「恒河達はどんな福を備えたゆえに、巌から身を投げても、水に沈んでも、毒をあおっても、矢を射っても、身を破られることなく、世尊に会うことができる徳を得たのですか」

罪を償うため仏陀を訪れる阿闍世王

仏は答えました。
「よく聞きなさい。過去の無量劫(一劫は宇宙が誕生し消滅する時間)に、波羅奈国という国があった。その国に法摩達(ほうまだ)という王があった。王は多くの官人をひきつれ、林の中で遊戯した。多くの女があり、妓楽し歌詠した。歌詠している者の中に、ひとり高い声を出す者があった。王はこの声を聞いておおいに怒り、この人を捕らえ、官に命じて殺させようとした」

「そのとき、一人の大臣がよそからやってきて、この人が捕らえられたのを見て言った。
『なぜこうなったのか』
多くの人がその故を語るのを聞くと、大臣は王に申しあげた。
『この人の罪は重いものではありません。命をとってはなりません』
王はこの人を許し、死刑を解いた。この人は大臣の言葉によって死をまぬがれたのだ。この人はその後、大臣に仕え、幾多の年月を経た。

その人は思った。
『自分は欲の心が深かったために、女たちの声に高い音を加えた。死刑になるところだった。これは、欲の心があったためだ』
この人は大臣に出家したいと申し出た。大臣は答えた。
『私はその意志に反対はしない。本意のとおり、すみやかに出家して、仏道に入り、法を学びなさい。もし帰ってくることがあったなら、私に会いに来なさい』

この人は山に入り、ひたすらに妙理を思い、正法を修習して、辟支仏(教えによらず悟りを開く)となった。この人は城に帰り、大臣と会った。大臣は大いに歓喜して供養した。辟支仏は虚空に昇り、十八変(仏が現じる十八の奇跡)をあらわした。大臣はこれを見て、誓願して言った。
『辟支仏は私のおこないで命を助かったのだ。私は何度、どんな世界に生まれ変わっても、福徳と長命を得て、仏のように広く衆生(人々)を導こう』

このとき、一人の人の命を助けて、遁れさせた大臣が、今の恒河達である。この因縁によって、恒河達は決して若くして死なず、法を学び、すみやかに道を得ることになったのだ」
そう説いたと語り伝えられています。

【原文】

巻2第25話 波羅奈国大臣願子語 第(廿五)
今昔物語集 巻2第25話 波羅奈国大臣願子語 第(廿五) 今昔、天竺の波羅奈国に、一人の大臣有り。家大きに富て、財宝豊か也。 而るに、此の人、子有る事無し。此れに依て、昼夜朝暮に子無き事を歎き悲むと云へども、子を儲る事無し。

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

賢愚経』より得た話。
子の名「恒河達」は『今昔物語集』では欠落しているが、『賢愚経』から補った。

「恒河達」とは恒河すなわちガンジス川からとった名である。舞台である波羅奈国(ヴァラナシ)もガンジス河畔の都市であり、この物語はあきらかにガンジス川に関連している。

ヴァラナシとガンジス川

大臣が強く子を求め、また子の出家をはばんだのは、古代インドでは財産を受け継ぐ者がない場合、その財産は国のものとなると定められていたからだ。子がないとは財産を奪われることを意味していた。

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