巻一第二十一話 出家する王族、奴隷がもっとも重んじられた

巻一

巻1第21話 阿那律跋提出家語 第廿一

今は昔、釈迦仏の父・浄飯王(じょうぼんおう)の弟で、斛飯王(こくぼんのう、ドローノーダナ)という人がありました。
斛飯王には二人の子がありました。兄を摩訶男(まかなん、マハーナーマン)、弟を阿那律(あなりつ、アヌルッダ)といいます。母は阿那律を愛し、離そうとはしませんでした。三時殿を造って阿那律に与え、多くの侍女をつとめさせ、享楽の生活をさせたといいます。

兄の摩訶男は弟の阿那律に言いました。
「多くの釈迦族の者が出家している。しかし、わが一門にはいない。家業のみを営んでいるのだ。弟よ、出家せよ。もしおまえが出家しないならば、おまえが家業を営め。私が出家する」
阿那律は答えました。
「私は毎日、家業を営んでいますが、悩ましいことがたくさんあります。私が出家し、道を得ましょう」
阿那律は母に次第を告げ、いとまごいをしましたが、母は許しませんでした。何度も乞いましたが、許してもらえませんでした。母は愛着ゆえ悲しみ、さまざまな方法をもちいて阿那律の出家を止めようとしました。

斛飯王の弟に、甘露飯王(かんろぼんおう)という人がありました。やはり二人の子があり、兄を婆婆(ばば)弟を跋提(ぼだい)といいました。跋提の母は、やはり愛着ゆえに、出家を許しませんでした。

阿那律の母は言いました。
「私はあなたの出家を許しません。ただし、もし跋提が出家するならば、あなたの出家を許しましょう」
阿那律は跋提に会って、出家を勧めました。
「私の出家の可否は、あなたが出家するかどうかにかかっているのだ」
跋提はこれを聞き、阿那律の勧めにしたがって、出家を決意しました。しかし、それを母に告げると、許可をもらえませんでした。母は言いました。
「阿那律の母が子の出家を許したならば、私もあなたの出家を許しましょう」

このように母たちはおたがいに同じことを言って、出家を食い止めていました。が、やがて息子たちの出家を許しました。
跋提は言いました。
「私は母の許しを得たが、すぐには出家したくない。七年は快楽を味わい、五欲の楽を受け、そのうえで出家したい」
阿那律が言いました。
「君が言うことは誤っている。人の命に定めはない。どうして七年後も在ると言えよう。七年も待てない。七日待ってやろう」

跋提は、阿那律にしたがい、七日のちに出家することにしました。
「われわれ釈迦族の者八人、および優婆離(うぱり、ウパーリ)は、心をひとつにして出家する」
彼らはおのおのよい美しい衣服を着て、象や馬に乗って、迦毗羅国(かぴらこく)の国境を過ぎました。国境を越えたところで、宝の衣を脱ぎ、象馬を乗り捨てて優婆離にわたしました。
「おまえは、われわれに仕えることで、世に存在してきた。われわれが出家してしまったら、職を失うだろう。この宝衣と象馬をおまえにやろう。今後の貯えとするがよい」

優婆離は宝衣と象馬を得て、帰ろうとしました。その途上、考えました。
「家にもどって家業を営むより、彼らとともに出家したほうがいい」
宝衣を樹にかけ、象馬を木につないで言いました。
「ここに来た人があれば、受け取るといい」
優婆離は九人を追いました。追いついて言いました。
「私も共に出家します」

全員ともに仏の御許に参りました。阿那律と跋提が言いました。
「私の父母はすでに出家を許しています。願くは仏よ、私の出家を許してください」
仏はまず優婆離を得度させました。「他の者には、驕慢の心がある。優婆離には、それがない」
優婆離の次が阿那律、次に跋提、難提、金毗羅、難陀の順でした。

優婆離は、先に戒を受け、上座となったと伝えられています。

【原文】

巻1第21話 阿那律跋提出家語 第廿一
今昔物語集 巻1第21話 阿那律跋提出家語 第廿一 今昔、釈迦仏の父、浄飯王の弟に斛飯王と云ふ人有り。其の子に兄弟二人有り。兄をば、摩訶男と云ふ。弟をば、阿那律と云ふ。其の母、阿那律を愛して、暫くも前を放つ事無し。三時殿を造て、阿那律に与へて、采女と娯楽せさする事限無し。

【翻訳】
草野真一

【解説】
草野真一

拡大を続ける仏教教団

釈迦を中心とする仏教教団が出家者を増やし次第に大きくなっていく話である。

念のため書いておくが、ここでいう「出家」とはインドで現在もおこなわれている慣習であり、日本の新興宗教に見られるようなマイナスのイメージはほとんどない。「出家」も文字どおり家を出ることで、財産などはすべて家に残していったのである。財産を教団に寄付させる習慣は、すくなくともこのときの仏教教団にはなかった。

ここで出家しなかった斛飯王の子、兄の摩訶男(釈迦の従兄弟)は、在家の弟子(優婆塞/うばそく)となった。

インドでは現在でも長男が家督を相続し父母の面倒を見るのが普通とされている。

摩訶男は第二話で大臣として登場する摩訶那摩である。のちに釈迦族の王となったと伝えられる。王になるはずの王子様が出家しちゃったので、お鉢が回ってきたということですね。

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彼は「多くの釈迦族の者が出家した」と語っているが、わけても刺激的だったのは、第十七話の羅睺羅(らごら)の出家だったと思われる。

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釈迦が生まれたときには大臣をやっていたのだから、釈迦の息子である羅睺羅よりかなり年長だということだろう。そのことも焦燥のタネになっていたにちがいない。

ふたりの跋提

資料によれば、跋提は第8話に出てくる人だと語られている。

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とってもおかしい。
はじめて説法(初転法輪)した相手である出家者が、弟子もたくさんできた今、はじめて出家するって、どういうSFなんだそれは。最近じゃ見ないほどベタベタのタイムパラドックスじゃないか。

哲学者・中村元先生は次のように語っている。

「釈迦の生年と没年は南伝と北伝(含む日本)では約100年の開きがある。しかし『だいたいこのぐらいの時代を生きた人』と語れる思想家はめずらしいのだ。インドには、いつの時代の人かまったくわからない人がたくさんいる。インド人は永遠を見る人たちなので、五十年百年のちがいはちがいのうちに入らない」

インドには、時を非常に大事にする中国・朝鮮・日本とはまったく異なった価値観があるようだ。

よく考えてみろよ。
大事なのはその人がいつ生きていたかじゃない。その思想がおまえにとってどうかなんだ。
おれたち、細かいこと気にしすぎなのかもしれないぜ。

奴隷の優婆離が認められた

釈迦族の高貴な者よりも、身分の低い優婆離の出家が先に認められ、上座になったと記されている。
ここにはハッキリとは書かれていないが、優婆離は最下層のカースト、シュードラ(奴隷階級)なのだ。理髪師だったと伝えられている。

Upali the Barber

ここには、インド思想における仏教のラジカリズム「カーストの否定」が表現されている。
カーストは、仏教の誕生よりずっとずっと古い時代から存在し、今なおインドに生きている、まさに空気のような慣習だ。それに疑問をもつ者は、現在でも決して多くはない。釈迦の時代はほとんどいなかったと思われる。

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