巻一第八話 サールナート(鹿の園)で説いた(釈迦伝15)

巻一(全)

巻1第8話 釈迦為五人比丘説法語 第八

今は昔、釈迦如来は波羅奈国(ばらなこく、ヴァラナシ=ベナレス)に赴き、憍陳如(きょうちんにょ)など、5人の比丘が修行しているところに行きました。

ヴァラナシ。ガンジス川に接する聖地。

5人は如来がやってくるのを見て、語りあいました。
「沙門瞿曇(しゃもんぐどん、釈迦)は、苦行(断食)をやめた。飲食を受けるためにここに来たのだろう。われわれは進んで立っていって、彼をお迎えしよう」
5人は座から立ち、礼拝して迎えました。

如来は語りました。
「おまえたちは未熟な智恵をもって私が達成した道(悟り)を軽め、疑ってはならない。苦行をやめたのは、心悩が乱れるからだ。かといって快楽を求めれば、心は欲望にとらわれる。だからこそ私は苦楽の二道を離れ、中道を行った。そうすることで菩提を成ずることができたのだ」
如来は5人のために、苦・集・滅・道の四諦を説きました。5人はこれを聞き、遠塵離苦(おんじんりく)して、法眼浄(ほうげんじょう)を得ました。

5人は、憍陳如、摩訶迦葉(まかかしょう)、頞鞞(あへい)、跋提(ばだい)、摩男拘利(まなんくり)といいます。

この5人であったことには理由があります。
昔、迦葉仏(過去七仏。釈迦以前の仏)に、9人の弟子が学んでいました。うち4人は賢く、教えを理解して、道を得ることができました。残りの5人は鈍く愚かだったので、教えを理解することができませんでした。
「釈迦如来が出世成道したとき会おう」
5人はそう願を立てたと伝えられています。

初法を聞く5人。初期は仏は像ではなく法輪(チャクラム)で表現された

【原文】

巻1第8話 釈迦為五人比丘説法語 第八
今昔物語集 巻1第8話 釈迦為五人比丘説法語 第八 今昔、釈迦如来、波羅奈国に行給て、憍陳如等の五人の比丘の住所に至り給ふ。彼の五人、遥に如来の来り給を見て、相共に語て云く、「沙門瞿曇、苦行を退して、飲食を受むが為に、爰に来給へり。我等、煩はさずして、立て彼を迎へ奉るべし」と。

【翻訳】
草野真一

【解説】
草野真一

釈尊が成道した地は、北インドはガヤー郊外、ネーランジャラ川のほとりと伝えられている。この地は現在ブッダガヤと呼ばれ、仏教最大の聖地となっている。
大菩提寺と呼ばれる巨大なモニュメントが建立されているほか、世界各国の仏教教団の寺院も数多く建てられている。むろん日本の寺院もある。

ブッダガヤ。ネーランジャラ川から大菩提寺をのぞむ

私事になるが、自分は昔、ここに逗留していた。どこかの国の僧房に宿泊していたんだが、それがどこの国のものだったのか、どのぐらいそこにいたのか、まったく覚えていない。大菩提寺の記憶もあいまいだ。

ブッダガヤでよく覚えているのは、3つ。
サモサがおいしかったこと。ネーランジャラ川が美しかったこと。そして、日本から来た女の子が歌うアカペラがとても素晴らしかったこと。
伴奏のない歌であれほど心を動かされることはたぶん、ないだろう。

釈尊がはじめて説法をした地は、波羅奈国(ヴァラナシ=ベナレス)である。ブッダガヤからはずいぶん離れている。列車で行っても一日かかる。
徒歩以外の交通手段は考えられないから、何日もかけて歩いて行ったってことだ。

なぜそんな遠くで? 
これに関して、中村元氏が興味深いことを語られている。
「学者が新しい学説を思いついても、それだけでは定説にならないでしょう? 人に認めてもらわなければならない。当時、釈尊は新しい思想家ですから、自説を承認してもらわなければなりません。そのために、多くの修行者が集まる場所に行ったのです。今日、学者が学会に出て行って自説を発表するのと同じです」

ヴァラナシの郊外、サールナート。
それが釈尊がはじめて説法をおこなった(初転法輪)地である。

サールナート。ダメーク・ストゥーパ

オレ、サールナートにも行ったんだ。

でも、何も覚えちゃいない。記憶にあるのは夕日だけだ。

大陸の夕日は、なんて美しいんだろう!

今思えば、サールナートが田舎だったから、そう感じたのかもしれない。

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