巻1第34話 長者家牛乳供養仏語 第卅四
今は昔、天竺に一人の長者がありました。貪欲邪見、人に物を施す心がまったくありませんでした。年齢は九十余歳を迎え、死が近づいていました。
仏は慈悲の心から、彼を教化するために、三年門に立ちました。しかし、長者は邪見を持ったままでした。人に命じて杖木や瓦石で仏を打ち、追わせました。仏は毎日打ち、追われ続けましたが、なお門に立ち続けました。長者はさらに瞋恚(いかり)の心を強くして、打ち、追いましたが、仏は立つことをやめませんでした。それが三年続きました。
長者の家に、五百頭(たくさん)の牛がおりました。朝に追い出し、暮に追い入れていました。ある母牛が思いました。
「主人は邪見放逸で、仏を供養することがない。私は腹に子を宿している。この子を産み落としたら、乳を供養しよう」
子を産んだ後、母牛は乳を供養しようと思って出かけましたが、牛飼に追いまわされ、できませんでした。牛は思いました。
「戻ってきたときに供養しよう」
帰った後、仏の御前に歩み至て、立ちどまりましたが、またも追われて供養できませんでした。
三日めの夜明け、牛は思いました。
「私が今、畜生として生まれ、堪え難き苦患に落ちているのは、先の世で施しの心がなかったからだ。今生ではかならず仏を供養して、畜生の道、杖で打たれる苦を離れ、菩薩の道を歩みたい」
牛は他の五百頭(たくさん)の牛とともにはおらず、前に進み出て、仏の御許に詣で、乳を供養しました。
「私は仏に乳を供養します。少し残してあるのは、我が子のためです」
仏は鉢を預けて、乳を受けました。そのとき、子牛が萱の中からいいました。
「私は草を食べます。残った乳も仏に供養してください」
仏はいいました。
「この牛は功徳のために、将来は天に生れるだろう」
牛はその後も仏に乳を供養したと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
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