巻20第15話 摂津国殺牛人依放生力従冥途還語 第十五
今は昔、摂津国の東生の郡(大阪市東成区)撫凹(なくぼ)の村に住む人がありました。家は大いに富み、財豊かでした。
あるとき、その人は神のたたりを負いました。たたりを避けるため、毎年一頭ずつ牛を殺して祈り祀りました。期限は七年と決まっていたため、合計で七頭の牛を殺しました。
七年経ち、祭祀を終えた後に、その人は重病にかかりました。その後七年医師にかかりましたが、治すことはできませんでした。陰陽師にたのんで祈祷してもらっても治りませんでした。病はいよいよ重くなり、姿かたちも衰えて、まさに命を落とそうとしていました。
病んだ人は心の中で思いました。
「私が重い病を負い、辛苦悩乱するのは、年来牛を殺してきた罪によるものだろう」
とても悔い悲しみ、月ごとの六節日(精進すべき六斎の戒日)には、欠かさず戒を受けました。また、方々に使いを出して、多くの生き物を買い取り、逃がしてやりました(放生)。
七年たって、彼は亡くなりました。死の瞬間、思うことがあったのかもしれません。妻子に言い遺しました。
「私が死んだ後、すぐに葬ってはならない。九日間そのまま置いておけ」
妻子が遺言のとおりに葬らずにいると、九日めに生き返りました。
「死んだとき、頭は牛で身は人の者が七人やってきた。彼らは私の髪に縄をつけ、私を捕らえ、立ちかこんで進んでいくと、目前に堂々とした楼閣があった。『これは何の宮ですか』とたずねたが、七人は目をいからして私をにらむばかりでなにも言わない。門の内に入ると、気品あるやんごとなき人が出てきて、七人を集めて言った。
『これは、おまえたち七人を殺した男である』
七人は俎(まないた)と刀を持って言った。
『膾(なます)に刻み、おまえを食ってやろう。おまえはおれたちを殺したカタキだ』
「そのとき、別の方角から千万の人があらわれた。彼らは、私を縛った縄を解いて言った。
『この人はたたる鬼を祭るために牛を殺したのだ。この人の咎(とが)ではない。いわば、鬼神の咎である』
七人の牛頭の者と、千万の人とが、それぞれ私の咎の有無をめぐって訴えあった。まるで火と水のように対立していた。閻魔王はことの理非を判断することができなかった。
七人の者はさらに強く言った。
『この男は、われわれの四本の足を切って、廟に祭ったのです。わたしたちがこの男を得て、膾に刻もうというのはそのせいです』
すると、千万の人が閻魔王に訴えた。
『私たちはそれをよく知っています。しかし、それはこの人の咎ではありません。鬼神の咎です』
閻魔王は決めかねて、『明日あらためて参れ。判断を下す』と言って、それぞれを帰した。
九日め、それぞれが王のもとに集まり、同じ訴えをした。王は言った。
『人数の多い方の意見が正しいと決めた』
王は、千万の人の方を理と定めた。これを聞くと、七人の者は舌嘗(したなめづり)をして、唾を呑み、膾をつくり食べる効(まね)をして、くやしがった。
『怨みを晴らせないことが、かぎりなく残念だ。私たちは絶対に忘れない。必ず復讐してやる』
そう言って去っていった。千万の人は、私を敬い、とりかこみ、閻魔王の宮を出て、私を輿に乗せてくれた。
私はそのとき聞いた。
『あなたたちは誰ですか。なぜ私を助けてくれるのですか』
『私たちは、あなたが買い取って逃がしてくれた生き物です。そのときの恩を今おかえししているのです』」
その後、その人はより厚い信仰の心を発し、鬼神を崇めず、深く仏法を信じました。家を寺とし、仏像を安置し、法を修行しました。また、いよいよ熱心に放生(生き物を買い取って逃がす)を行じ、怠ることがありませんでした。「那天宮(なてんぐう)」と呼ばれました。ぞ云ける。病に伏せることなく、九十余歳で亡くなったといいます。
放生は心ある人が専らに行うべきことであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
『日本霊異記』中巻より得た話。ここでは「神のたたり」と表現しているが、『霊異記』は「漢神祟」としており、道教のような大陸由来の宗教だったことがわかる。
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