巻1第17話 仏迎羅睺羅令出家給語 第十七
今は昔、仏は息子の羅睺羅(らごら、ラーフラ)を出家させようと考え、目連(モッガラーナ)を使者として迎えに遣わそうと考えていました。羅睺羅の母・耶輸陀羅(やしゅだら、ヤショーダラー。釈尊の奥さん、姫)はこれを聞き、高楼に登って門を閉め、守門の者に言いました。
「誰が来ても門を開いてはならない」
仏は目連に言いました。
「女とは愚かなものだ。子を愛するのは短い間に過ぎない。死んで地獄に堕ちたなら、母と子は出会うことはなく、永遠に離れ無限の苦を受けるだろう。そのときに後悔しても遅い。羅睺羅が道を得たなら、かえって母を助けるだろう。生老病死の根本を断ち、羅漢(らかん、聖者)になり、私のようになるべきだ。羅睺羅はすでに九歳になる。出家させて、聖の道を歩ませたい」
目連はこれを承って、耶輸陀羅のもとに参りました。耶輸陀羅は高楼に登り、門を閉じて、心静かに過ごしていました。目連は空から飛び来て、仏の言葉を伝えました。
耶輸陀羅は答えました。
「仏が御子をつくったとき、私は妻としておそばにおりました。まるで天神に仕えるように、彼に仕えていたのです。それから三年に満たないうちに、彼は私を捨て、宮を捨て、出家なさいました。その後、国に帰ることはなく、私に会うことはありませんでした。私は寡婦になりました。仏は今、私から子をも奪おうとしています。仏になるということは、慈悲によって衆生を安楽させるものだといいます。今、母子を引き裂き別離させることは、慈悲がないということではありませんか」
耶輸陀羅は泣きながら語りました。
目連は返す言葉もなく、浄飯王(じょうぼんおう、釈尊の父、王)のもとに参り、このことを話しました。王はこれを聞き、王妃の波闍波提(はじゃはだい、釈尊の叔母にして乳母、王の後妻)を呼び、申しました。
「私の子である仏は、目連を使いとして、羅睺羅を迎え道に入れようとしている。しかし、母は愚かにも、子を愛するがゆえに子を手放すことができない。彼女のもとに行き、なぐさめて、納得させなさい」
王妃は耶輸陀羅のもとに行き、王の言葉を伝えました。
耶輸陀羅は言いました。
「私が家にいたとき(嫁入り前)は、八国の王が競って家にたずねて来ては、父母に私を乞うたものです。父母はこれを許しませんでした。才芸に勝れた太子を聟とすることを決めていたからです。ところが、太子は世を憂い、出家してしまいました。この羅?羅に家を、国を継がせるしかないではありませんか。彼を出家させては、跡継ぎがなくなって、国は滅びます」
耶輸陀羅は泣きながら訴えました。王妃は答えることができませんでした。
そのとき、仏は耶輸陀羅の心を会わずして知り、ふたたび目連を遣わしました。目連は空より飛来し、仏の言を伝えます。
耶輸陀羅は言いました。
「羅睺羅を出家させれば、継ぐことができません。国は絶えてしまうでしょう」
目連は言いました。
「仏はおっしゃいました。『私は昔、燃灯仏(釈尊よりも昔に悟りを開いた人。過去仏)の世に、菩薩の道を修行していたころ、五百金の銭で、五百茎の蓮花を買い、仏に奉った。そのときおまえは、そこに二茎の花をそえた』『そのとき、お互いに誓ったではないか。未来永劫どんなことがあっても、私とおまえは夫婦になる、と。二人が異なる心を持つことはない、と』『その誓いによって、私たちは契り、夫妻となった。にもかかわらず、今おまえは、愚かにも羅睺羅を惜しんでいる。彼を出家させ、聖の道を学ばせるのだ』」。
耶輸陀羅はこれを聞くと、ずっと昔のことを今見るように思えて、言葉を発することなく、羅睺羅を目連にあずけました。目連が羅睺羅を連れ去ろうとすると、耶輸陀羅は息子の手を取り、雨のように涙を流しました。
羅睺羅は母に言いました。
「私は仏を朝暮に見ることになるのです。歎きなさいますな。戻って、王宮で私を見守ってください」
そのとき、浄飯王は耶輸陀羅の心をなぐさめるために、国中の豪族に告げました。
「私の孫の羅睺羅が、今、仏のもとに行き、出家して聖の道を歩もうとしている。人々よ、私の孫とともに一人ずつ出家させよう」
仏は阿難(あなん、アーナンダ)を遣わし、羅睺羅をふくめた五十人の子どもの頭を剃らせました。舎利弗が(しゃりほつ、サーリプッタ)が和上(和尚)、目連が教授役となり、受戒しました。
仏はこの五十人の沙弥(しゃみ、小僧)のために、扇提羅(せんだら、旃陀羅。被差別民)の宿世の罪報を説きました。沙弥たちは、これを聞いて、大いに歎き、仏に申し上げました。
「和上舎利弗は、大智・福徳のある方で、国中から供養を受けていらっしゃいます。私たちは愚かで、福徳がありません。そのような者が飲食を受ければ、扇提羅のように後世で苦を受けることになるでしょう。私たちはこのことが憂えてならないのです。仏よ、私たちの身の上を哀しんでいただき、家に戻る罪をお許しください」
仏はこの訴えを聞き、こんなたとえをお話しになりました。
「二人の人が、過食してしまったとしよう。一人は智恵があったので、食い過ぎたことを知り、医師に薬を調合してもらい、体の中の食を消し、身体の苦しみを取り去り、命を保った。一人は愚かだったので、食い過ぎたことに気づかず、薬を服することがなかった。生あるものを殺し、鬼魅を祭り、自分の命を救おうとした。腹に宿った食は風邪となり、胸と心を病み、ついに死んで地獄に堕ちた。
今おまえたちは、罪を恐れて家に帰ろうとしている。まるでこの愚かな人のようだ。おまえたちは、前世の善根の因縁があったからこそ、私に出会えたのだ。医師に会って苦をのぞき、死をまぬがれた人のようではないか。
羅睺羅はこれを聞き、心を開いて悟りに至ったと伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
釈迦は不能じゃなかった
釈迦は出家前、王子様だった。奥さん(姫)をもらってあげたのに同衾することがほとんどない息子を、父王は心配していた。息子は妻に興味がないだけでなく、女そのものに興味がないんじゃないか。これは、王にとって大きな悩みだった。跡継ぎができないということだから。
ところが、息子はできるのだ。釈迦もやることはやってたのである。めでたしめでたし……とはならないよ、というのがこのエピソードだ。
母は子を離さない
断じて言う。
愛欲におぼれているのは子ではない。親のほうだ。たいがいの親は、子に愛されるよりもずっとずっと深く子を愛している。「依存」と言い換えてもいいだろう。
この話もそれを描いていて、息子は家を出るつもりでいるのに、母がさみしがって周りがてんやわんやするという話だ。父は愛ゆえに子をなんとかしようと思うが、母は息子の旅立ちを許さない。愛ゆえに、とも言えるし、依存ゆえに、と語ることも可能だろう。
親はなくとも子は育つ。
しかし、親は子がないといられない。
ラーフラの意味はわからない
息子の名はラーフラ。羅睺羅とはラーフラの音訳である。
ラーフラとは障碍という意味である……と言われてきた。
子の存在は出家を妨げ、道を歩む障碍である。それゆえにラーフラと名づけられたのだ、と。
ところが実際のところ、ラーフラとはどういう意味かわからないのだ。
なにしろ紀元前の話、しかも現代でさえ100以上の言語が存在する多言語国家の話である。
釈迦がどんな言語を使って説法していたのかわからない。仏教教団の共通言語がなんだったのか、そんなものあったのかもわからない。ラーフラの意味がわからないのも、さもありなん、という話なのだ。
ちなみに、釈迦は「シッダールタ」という名だとされているが、「目的を達成した人」と言う意味で、後づけだといわれている。
最後の段、「生あるものを殺し」とは、バラモン教~ヒンズー教の宗教儀礼をさしている。山羊を捧げるのを見たことがある。 残酷だって? それ言えるのベジタリアンだけだから。
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