巻1第22話 鞞羅羨王子出家語 第廿二
今は昔、天竺。仏が阿難とともに城に入って、乞食(こつじき、托鉢)しているとき、城中にひとりの王子がおりました。鞞羅羨那(ひらせんな)といいます。多くの美しい侍女とともに高楼で快楽にふけっていましたが、仏はその楽しげな声を聞いて、阿難に言いました。
「この王子は、七日後に死ぬでしょう。それまでに出家しなければ、地獄に堕ち、苦を受けるでしょう」
阿難はこれを聞くと、すぐに高楼にのぼり、王子を教化し、出家を勧めました。王子は勧めを聞き、六日間は快楽の生活をして、七日めに出家しました。一日一夜、戒をきよらかに保って命を終えました。
仏は言いました。
「彼は一日の出家の功徳によって、四天王天に生まれ、毘沙門天の子となって、多くの天女と五欲の楽を受けるでしょう。その命は五百年後に失われ、その後、忉利天に生まれ、帝釈天の子となって、千年後に命を失います。次は夜摩(やま)天に生れ、その王の子となります。二千年後、覩史多(とした)天に生まれ、その王の子となります。その四千年後、化楽天に生まれ、その王の子となります。その八千年後、他化自在天に生まれて、その王の子となり、一万六千年生きます。
このように、六欲天に生れて、七度楽を受けるのです。どこに生まれたときも、歳満たず死ぬことはありません。一日の出家の功徳は、二万劫の間つづき、(地獄などの)悪道に堕ちることなく、常に天に生まれ、福を受けます。その後、人として生まれ、豊かな財産を備えて老いるでしょう。やがて世を厭い出家して、道を修め、辟支仏(びゃくしぶつ=縁覚。みずから悟る人)となって、毗帝利(びたいり)と呼ばれ、多くの人を救うでしょう」
出家の功徳は不可思議なものだ。そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
仏教ではこの世界は「六道(ろくどう)」で構成されているとする。天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道である。
この話の主人公・鞞羅羨那王子が死んだ後に歴訪するのは、天道、すなわち天国だ。
そのひとつ、たとえばこの話に登場する他化自在天では、人の快楽を自分のものと同じように感じられるそうだ。要するに快楽が永続するってことで、これは筆舌に尽くしがたいキモチよさですよ。
だが、それはいつか終わる。天道には「死」があるのだ(天人五衰)。それを超越したものが仏であり、鞞羅羨那王子はやがてその境地に至ったとされている。
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