巻一第三話③ 死を知った。どう生きるか考えた(釈迦伝06)

巻一

巻1第3話 悉達太子在城受楽語 第三

巻一第三話②より続く)
そのころ、ひとりのバラモンの子がありました。名を憂陀夷(うだい)と申します。聡明で智恵に恵まれ、弁舌に長けていました。
王は彼を呼びこう言いました。
「太子は今世にありながら、楽しもうとしない。そのうちに家を出て聖の道を学びたいと言い出すかもしれない。君は太子の友となって、欲のままに生きることの楽しみを語り、出家を望む心を留めなさい」
憂陀夷は王の仰せを承り、常に太子に随い離れずにいて、ともに歌舞に興じておりました。

しばらく後、太子は再度「外出したい」とおっしゃいました。
王は次のように思い、外出を許可しました。
「憂陀夷が友になったのだから、世を厭い、出家したいと考えることはないだろう」

太子は憂陀夷と百官を引き連れ、香をたき、花を散りばめ、音楽を奏し踊りを眺めながら、西の門から外出しました。
浄居天は思いました。
「老・病の二つの苦は、太子だけでなくさまざまな人がこれを見て、王に伝えた。王はこのことで太子が楽しまなかったことを知ったのだ。今回は死を現そうと考えているが、人々がこれを見て王に伝えれば、王は怒り、自分は罰をこうむるだろう。今日は太子と憂陀夷、二人だけにこれを見せることにしよう」
浄居天は姿を変えて死人となりました。

それは葬送の行列でした。
死人を輿(こし)に乗せ、香花をその上に散じています。皆は涙しつつ列を見送りました。これを見たのは太子と憂陀夷のみです。
太子は憂陀夷に問いました。
「あれはどういう人なのか」
憂陀夷は王の仰せにしたがい、この問いに答えようとはしませんでした。太子は三度たずねましたが、憂陀夷は答えません。
浄居天は神通力(超能力)で憂陀夷の心を支配し、答えさせました。
「これは死人です」
太子はたずねました。
「どういう人を死人というのだ」
憂陀夷が答えます。
「死とは、身体がいうことを聞かなくなり、精神が去り、全身の機能が失われてしまうことを言います。この人は生きてこの世にあるころ、欲望をほしいままにし、財宝を愛惜し、無常を知りませんでした。これらはすべて、死と同時に失われました。父母や親戚、友や家来がありましたが、死んでしまってから付き従う人はありません。草木のようなものです。このように、死にゆく者とは、哀れなものです」
太子はこれを聞き、大いに恐れました。憂陀夷にたずねました。
「死ぬのはこの人だけなのか。他の人も死ぬのか」
「人は皆、このようになります」
太子は車を返し、城に戻りました。

王は憂陀夷を呼んで問いました。
「太子は外出して、楽しんだか」
「城を出てしばらくすると、道で死人とあいました。どこから来たのかはまったくわかりません。これを見たのは太子と私だけです」
王はこれを聞いて思いました。
「太子と憂陀夷のみ見て、ほかの人は誰もこれを見た者がない。これを現じたのは天だろう。お供として行った家来にとがはない。阿私陀(あしだ、予言者。今昔物語にはこれ以前登場しないが、釈迦誕生時、未来を告げた)の言ったことに間違いはなかったのだ」
王は大いに歎き悲しみ、毎日人をつかわして、太子に伝えました。
「この国はおまえのものなのだ。なぜ常に憂いた心を抱き、楽しもうとしないのだ」

王は大臣たちに命じました。
「太子は東南西の三つの門から外出しているが、まだ北の門からは出ていない。次は必ず、北の門より外出させよう。道を美しく飾り、老人や病人や葬列などを入れないようにせよ」
さらに、心の内でこう祈りました。
「天よ、太子が外出したとき、決して不吉なものを見せないようにしていください。太子の心に憂いや悩みを植えつけないでください」

カピラ城址といわれる遺跡(北インド)。釈迦が出家前に住んでいたカピラ城は、現在では位置がわからなくなっており、城址と呼ばれる遺跡が複数存在する。

太子は王に、また「外出したい」と告げました。
王は憂陀夷さらには百官を、太子の前後に配しました。城の北の門を出て、園に至ると、馬より降りて、樹のもとに正しく座りました。お供として来たたくさんの人を退け、心を落ち着かせ、老・病・死の苦について思惟しました。

そのとき、浄居天が僧の姿となって、太子の前に立ちました。法服を着て、托鉢を持ち、錫杖を持っています。太子はたずねました。
「おまえは誰だ」
「私は比丘(びく)です」
「比丘とはどういう人か」
「煩悩を断じて悟りを開き輪廻しない人です。世間のものはすべてうつろいゆき変化しますが、私の学んでいるのはそれを超越した穢れなき正道です。目に見えるものに動揺せず、音に驚かず、香にも動かされず、味に耽らず、感触に惑わされません。法に迷わず、無為の(最高の)境地を得て、解脱の岸に達しています」
浄居天はこう言い終わると、神通によって虚空に昇り去りました。太子はこれを見て馬に乗り、城に帰りました。

王は憂陀夷に聞きました。
「太子は外出して楽しんだか」
「今回は道で不吉なものに出会うということはありませんでした。ただし、太子が園に至り、樹の下で座っていると、人がやってきました。髪を剃り、衣を染めていました。太子に何か語ったようです。それが終わると、空に飛び去りました。何を言ったかはわかりません。太子はこの人と談笑している間は、喜んでいたようです。城に返ってからは、なおいっそう憂いに沈んでいるようですが」

王はこれがよい知らせだということがわかりませんでした。
「太子はやがて、出家したい、聖の道を歩みたいと言うだろう」
王は恐れ、歎き悲しみました。
(了)

【原文】
http://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku1-3

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

憂陀夷という人は何人かいて、混同されることが多い。憂陀夷の従者も憂陀夷というそうで、どちらも釈迦が成道した後に出家して弟子になっているというから、混同するのも無理はない。

どちらかの憂陀夷は夫妻に姦通の罪について説法した後、じっさいに姦通していた妻に殺されるというとてもドラマチックな死に方をしているのだが、それがこの話の憂陀夷と同一人物なのかはわからない。

ここに出てくる憂陀夷は、金も地位もルックスも知恵も、すべてに恵まれた若者である。ふさぎがちな太子のお供に抜擢されるぐらいだから、楽しいやつなんだろう。モテるだろうねえ。

この話のテーマは「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」。父王は太子が理解できない、ということだが、これは仕方ない。父が子に家を出て行って欲しくないと考えるのは人情だ。

この話に出てくる太子は下のエピソードのように超人ではない。

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今は昔、釈迦如来の母、摩耶夫人は、彼女の父の善覚長者と共に、春のはじめ二月八日に、嵐?尼(ルンビニ)園に無憂樹(ムウジュ)を見に行きました。夫人は園に到着すると、宝の車より降りました。たくさんの美しい瓔珞(ネックレスや腕輪などの装飾品)をつ...

ここでの釈迦は生まれたばかりで歩くわ歌は詠むわ、まさにとんでもない人なのだが、この話では逆にモノを知らない人になってしまっいる。いかにもいいとこのお坊ちゃんって感じだ。
釈迦の生涯はいろんなエピソードの集合体だから、現実に近いこともあれば妄想(伝説)を素材にしたものもあるということだろう。

この話の方が真実に近いんだろうなと考えたアナタ、それ凡人の思考だから。

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