巻11第3話 役優婆塞誦持呪駈鬼神語 第三
今は昔、役(えん)の優婆塞(うばそく、在家信者)という聖人がありました。大和国葛上の郡茅原の村(奈良県御所市)の人です。俗姓は賀茂、役の氏でした。年来、葛木の山に住み、藤の皮を以て衣とし、松の葉を食物として、四十余年、彼の山の中の岩窟に住んでいました。清い泉を浴び、心の垢を洗い浄め、孔雀明王の呪を誦しました。あるときは五色の雲に乗り、仙人の洞に通いました。ある夜は、多くの鬼神をつかって、水を汲ませ薪を拾わせました。この優婆塞にしたがわない鬼神はありませんでした。
金峰山の蔵王菩薩(蔵王権現)は、この優婆塞が行で出し奉ったものです。したがって、よく葛木山と金峰山の行き来をしていました。優婆塞は鬼神を召集し、告げました。
「葛木の山から金峰の山に至る橋をつくりなさい。私が通る道としよう」
鬼神たちはこれを承わって、仕事のつらさを嘆きました。しかし、優婆塞の責を逃げることはできません。鬼神たちは大きな石を大量に運び集めて、橋をわたしはじめました。
鬼神たちは優婆塞に言いました。
「私たちは姿かたちが醜く見苦しいので、夜に隠れてこの橋を造りたいと思います」
鬼神たちは夜々作業し、急ぎ造っていましたが、葛木の一言主の神はしたがいませんでした。優婆塞は一言主を召して言いました。
「おまえは何の恥があって、姿を隠すのか。橋の建設に関わることができないではないか」
優婆塞は怒り、呪(呪文)をもって一言主を縛り、谷の底に落としてしまいました。
一言主の神は、朝廷に言いました。
「役の優婆塞は、謀(はかりごと)をめぐらし、国を傾けようとしています」
天皇はこれを聞いて驚きました。官使を派遣し、優婆塞を捕えようとしましたが、空に飛び上って捕らえることができません。官使は優婆塞の母をつかまえました。優婆塞は母が捕らえられるのを見て、母に替るため、みずから出てきて捕らわれました。
天皇は罪をお調べになり、優婆塞を伊豆の国の島(伊豆半島説、伊豆大島説それぞれがある)に流しました。優婆塞はそこで海の上を浮いて走りました。陸で遊ぶようでした。山の峰で飛ぶ様子は、鳥が飛ぶようでした。昼は、公に配慮し、流刑地におりました。夜は、駿河の国(静岡県)富士山で修行しました。
「罪を許されたい」と祈ると、三年後に優婆塞の潔白が証明され、召し上げられました。
(下文欠)
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 柴崎陽子
役行者(えんのぎょうじゃ)または役小角(えんのおづぬ)と呼ばれる人物の一代記です。
『今昔物語集』には欠損があり、この話も途中で終わっています。本文の欠損は『日本霊異記』『三宝絵詞』の同じ話から補いました。
話にあるとおり、役行者は山に住み鬼神を使役し飛行したと伝えられます。山の宗教・修験道の開祖として信仰されました。
本文にある「天皇」とは文徳天皇であり、伊豆配流は西暦699年のできごとであると『続日本紀』にあります。これにより、葛木山から金峰山に架橋する計画は頓挫したと伝えられます。葛木山の神・一言主はこのときの罰を許されておらず、まだ呪をかけられた状態にあるといわれます。
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