巻17第49話 金鷲優婆塞修行執金剛神語 第四十九
今は昔、聖武天皇の御代、奈良の都の東の山に、ひとつの山寺がありました。その山寺に一人の優婆塞(うばそく、在家信者または出家してない修行者)がありました。名を金就といいます。この優婆塞が山寺を建て、住んでいました。
未だ東大寺ができていないころ、金就行者はその山寺で仏道を修行していました。山寺には、執金剛神の塑像がありました。金就行者は執金剛神の脛(すね)に縄を結びつけ、もう一方の端を握り、これをひいて、昼夜休むことなく修行していました。ある日、執金剛神の像が光を放ちました。その光は天皇の宮に至りました。
天皇はこの光を見て驚き怪しみました。この光はどこから来たものか。使いをやって調べさせました。使いが勅使をうけたまわり、光を追いかけていくと、山寺にたどりつきました。ひとりの優婆塞があって、執金剛神の脛に縄を懸け、礼拝して、仏道を修行していました。
使いはこの様子を見て、王宮に戻り、天皇にこの様子を申し上げました。天皇は報告を聞くと、すぐに金就行者を召しました。
「おまえは何を求め願い、このように修行しているのか」
金就行者は答えました。
「私は出家して、仏道を修行したいと考えています」
天皇はこれを聞くとほめたたえ、願いを聞き入れ出家を許して、得度させました。
行者が本意のように出家して比丘(僧)となった話を聞き、人々は行者を供養するようになりました。不自由な暮らしをすることはありませんでした。人々は行者を金就菩薩と呼にました。
光を放った執金剛神像は、東大寺の羂索堂(法華堂)の北に、今でも立っています。詣でて、礼み奉るべき像です。羂索堂は、金就行者が住んでいた山寺だといわれています。昔は、天皇の許しがなくては、出家することができませんでした。そのために熱心に祈らねばならなかったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
僧は税制優遇などの措置があったため、誰でもなることができるものではなかった。熱心な者は出家せずに仏道修行した。本話の金就行者はのちに東大寺の開山(寺院創始者)となった良弁であるとされている。
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