巻十一第十三話 聖武天皇が東大寺建立のために金を請うた話

巻十一(全)

巻11第13話 聖武天皇始造東大寺語 第十三

今は昔、聖武天皇が東大寺を建造しました。銅で居長□丈の盧舎那仏の像を鋳造させ、巨大な堂を造っておおいました。また、講堂・食堂・七層の塔二基・様々の堂・僧房・戒壇・別院・諸門、それぞれをつくりました。

御堂の壇を築くにあたり、まず天皇が鋤で土をすくい、袖に入れて運びました。大臣より下の人がどうして力を入れずにいられましょう。

堂塔はすべて完成しました。大仏の鋳造も終わりました。大仏に金箔をほどこすためには、大量の金が必要になります。しかし、わが国には金を産出するところはありません。震旦(中国)から買い付ける必要がありました。

多くの財を遣唐使に持たせて派遣しました。明くる年の春、遣唐使は帰国し、急いで塗りました。その色は練色(薄黄色。良質な金ではなかった)でした。しかも、わずかに足りませんでした。多くの堂塔など、金箔をほどこすべきものはたくさんあります。天皇はとても悲しみ歎きました。

やんごとない僧たちを召して問いました。
「どうしたらよいだろうか」
「大和国吉野の郡(奈良県吉野郡)に金峰という山があります。山の名から考えて、この山からは金が出るでしょう。おそらくその山を護る神霊があるはずです。このことを申し上げるとよいでしょう」
「たしかにそのとおりだ」
天皇は東大寺建立の責任者である良弁僧正を召し、言いました。
「今、法界の衆生(世界の人々)のために寺を建てている。多くの金が必要だが、わが国に金は出ない。伝え聞けば、金峰山には金が出るという。これを分けてもらおうと思う」

金峰山

良弁は宣旨を承わり、七日七夜祈り続けました。すると、夢に僧があらわれて言いました。
「この山の金は弥勒菩薩のものである。弥勒の出世の時(約五十六億年後)に弘めるべきで、その前に与えるわけにはいかない。私はそれを護る者である。近江の国志賀の郡田上(滋賀県大津市)の離れたところに、小山がある(現在の石山寺の立地)。その山の東面を椿崎といい、多くの岩が屹立している。その中に、かつて釣りをしていた翁がいる岩がある。その岩の上に、如意輪観音をつくり、堂をたて、金のことを祈るといい。祈り請うた金は、自然に思うようになるだろう」

石山寺金堂(国宝)

良弁は夢から覚めて、これを天皇に奏上し、宣旨をいただいて近江の国の勢田に行き、南の椿崎をたずねました。人の教えるとおりに行って、その山に入ってみると、希有の岩が多くありました。その中に、あの夢に見た釣りの翁がある岩がありました。
これを天皇に伝えると、こう言いました。
「すみやかに夢に告げられた如意輪観音の像をつくり、金の事を祈りなさい」
良弁はすぐに行き、堂をたて仏をつくり、供養の日から金の事を祈りはじめました。

すると、ほとんど時をおかずに、陸奥の国(東北地方)と下野の国(栃木県)から、黄色の砂が奉られました。鍛冶たちを召して精錬させてみると、すばらしく濃い色の黄、黄金でした。天皇はおおいに喜び、重ねて陸奥の国に請うと、多く奉られました。大仏にはその金が塗られました。さらに、その金は多く余ったので、寺の装飾にも使われました。

震旦の金は練色でした。それより優れたものであることは明らかでした。わが国の金の産出の始です。

天皇は、心をつくして東大寺を供養しました。講師は興福寺の隆尊律師という人でした。この人は化人(化身)でした。かの椿崎の如意輪観音は、石山寺にあると語り伝えられています。

石山寺の如意輪観音。秘仏であり、特別な場合をのぞき公開されない

【原文】

巻11第13話 聖武天皇始造東大寺語 第十三
今昔物語集 巻11第13話 聖武天皇始造東大寺語 第十三 今昔、聖武天皇、東大寺を造給ふ。銅を以て居長□□□丈の盧舎那仏の像を鋳させ給へり。其れに随て、大なる堂を造り覆ひ給へり。亦、講堂・食堂・七層の塔二基・様々の堂・僧房・戒壇・別院・諸門、皆様々に造り重ね給へり。

【翻訳】 柴崎陽子

【校正】 柴崎陽子・草野真一

【解説】 柴崎陽子

大仏建立秘話というより、わが国での金の産出と石山寺の成り立ちを語った話と言えるでしょう。印象的な翁は、石山寺一帯の地主と考えられています。

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