巻24第46話 於河原院歌読共来読和歌語 第四十六
今は昔、河原院(かわらのいん)には、宇多法皇が住んでおられましたが、崩御されたのちには、住む人もなく、院の中は荒れるにまかせていました。
紀貫之(きのつらゆき)が土佐国から上京し、ここを訪れて物の哀れをおぼえ、こう読みました。
君まさで 煙絶えにし 塩釜の
うら寂しくも みえわたるかな
(法皇様がお亡くなりになり、塩を焼く煙の絶えてしまったこの塩釜を見ると、いいようもなく寂しく思われることだ)
この院の庭は、陸奥国の塩釜(宮城県塩竈市)の浦の様子に似せて造り、海水を汲んで満々と注ぎ入れたので、こう詠んだのでありましょう。
その後、この院を寺にして、安法君(あんぽうのきみ)という僧が住んでいました。
この僧が、冬の夜、月がたいそう明るく輝いているのを見て、こう詠みました。
天の原 底さへ冴えや わたるらむ
氷と見ゆる 冬の夜の月
(今宵は大空が底まで冴えわたっているのであろうか。この冬の夜の月が氷のように見えることだ)
西の対屋(たいのや)の西側に、昔ながらの大きな松があります。
そのころ、歌人たちが安法君の僧房に来て歌を詠みました。
古曾部入道能因(こそべのにゅうどうのういん)の歌。
年ふれば かはらに松は おいにけり
子日(ねのび)しつべき 寝屋のうへかな
(長い年月経ったので、美しい川原に松が生えてしまった。こうも荒れてしまうと、寝屋の上で子の日の遊びができるというものだ)
[大江]の善時(よしとき)の歌。
里人の 汲むだに今は なかるべし
板井の清水 みぐさいにけり
(今は水を汲みに来る里人さえもないことであろう。板囲いの井戸の清水は一面、藻で覆われてしまっているよ)
源道済(みなもとのみちなり)の歌。
行く末の しるしばかりに 残るべき
松さへいたく 老いにけるかな
(後世、ここに河原院があったという目印として残るはずの松でさえ、もうすっかり年老いてしまったことだ)
その後、この院はいよいよ荒れまさり、その松も先年、大風で倒れたので、人々は哀れなことだと言い合いました。
その院の跡は、今は小さい家になり、お堂ばかりが残っている、と語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】 柳瀬照美
【校正】 柳瀬照美・草野真一
【解説】 柳瀬照美
河原院は、嵯峨天皇の皇子・源融が建てた壮麗な邸宅で、融の没後、宇多法皇に献上された。
紀貫之は三十六歌仙の一人で『土佐日記』の作者。
安法君は嵯峨源氏。円融・花山朝の頃の人で、中古三十六歌仙の一人。
能因は橘氏出身の歌人。
大江善時(嘉言)は、文章生、弾正少忠を経て但馬守。歌人。
源道済は、式部丞、下総権守などを経て、筑前守兼大宰少弐、正五位下。詩歌に長じ、歌集『源道済集』がある。
【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』
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