巻24第54話 陽成院之御子元良親王読和歌語
今は昔、陽成天皇の御子に元良親王(もとよしのしんのう)と申す方がおられました。
たいそうな色好みでいらっしゃったので、当時の女で美人の聞こえある者には、すでに会ったことのある者であろうとなかろうと、常に恋文を遣るのを仕事のようにしておられました。
ところでそのころ、枇杷左大臣(びわのさだいじん・藤原仲平)の御元にお側仕えとして使っておられた若い女がいて、名を岩楊(いわやなぎ)といいました。
容貌も人柄もすぐれ、風雅な心の持ち主でありましたから、この女の噂を聞くすべての人が盛んに恋文を寄越しますが、志操堅固で聞き入れようとしませんでした。
だが、□□という人が夢中になって言い寄ったので、拒み切れず、ついに契りを結ぶようになりました。
その後、男はいっときも離れがたい想いがして、大臣の家の女の部屋へ通っていましたが、かの元良親王はこのことを知らず、女の美しいことを聞いて夢中になり、たびたび恋文を遣りましたが、女は「決まった男がいる」とは言わず、そ知らぬふりをして返事さえしなかったので、親王はこう詠んでお遣りになりました。
大空に 締めゆうよりも はかなきは
つれなき人を 頼むなりけり
(大空にしめ縄を張りめぐらして、その中を自分の所有と主張するよりも、もっと頼りにならぬものは、愛してくれない人の愛を頼みにすることであるよ)
女が返すには、
いぶせ山 世の人声に 呼ぶ子鳥
呼ばふときけば 見てはなれぬか
(人の噂では、あなたに言い寄る人が多いとか。恋文なども、すっかり見慣れて、私の言葉など相手になさらないでしょう)
この親王が結局、女を我がものにしたという話も聞かない、とこう語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】 柳瀬照美
【校正】 柳瀬照美・草野真一
【解説】 柳瀬照美
元良親王は、陽成天皇の第一皇子。母は藤原遠長の娘。
女童(めわらわ)は、まだ一人前の女房にならない、若い小間使い。
親王という身分高い人が、小間使いの若い女に言い寄って、相手にされなかったという話であるが、本話の主眼は、恋歌の贈答。
元良親王は歌人でもあり、後撰・拾遺集に和歌が収められている。また、親王の和歌が集められた『元良親王集』もある。
【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』
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