巻二十四第四十七話 伊勢が詠んだ恋の歌

巻二十四

巻24第47話 伊勢御息所幼時読和歌語

今は昔、伊勢御息所(いせのみやすどころ)がまだ御息所にもならず、七条后(宇多天皇中宮、藤原温子)のもとにお仕えしていたころ、枇杷左大臣(びわのさだいじん・藤原仲平)はまだ年若く少将でいましたが、たいそう人目を忍んで、お通いになられました。
いかに忍んでも、人がいつかなんとなくその気配を覚りました。

それからは、少将はお通いにならず、何の音沙汰もなかったので、伊勢はこう詠んで送りました。

人知れず 絶えなましかば わびつつも
なき名ぞとだに いはましものを
(人に知られず絶えてしまったというような二人の仲であるのなら、失恋の悲しみに嘆きながらも、あなたとのことは何でもなかったのですよと、言ってやることができましょうに、噂がこうも広まっては、そうもできないことですね)

少将はこれを見て、「哀れなことだ」と思われたのであろうか、その後はかえって人目をはばからず、深く愛してお通いになった、ということです。

伊勢(狩野探幽『三十六歌仙額』)

【原文】

巻24第47話 伊勢御息所幼時読和歌語 第四十七
今昔物語集 巻24第47話 伊勢御息所幼時読和歌語 第四十七 今昔、伊勢の御息所の、未だ御息所にも成らで、七条の后の許に候ひける比、枇杷左大臣、未だ若くして少将にて有ける程に、極く忍て通ひ給ひけるを、忍ぶと為れども、人自然ら髴(ほのか)に其の気色を見てけり。

【翻訳】 柳瀬照美

【校正】 柳瀬照美・草野真一

【解説】 柳瀬照美

三十六歌仙の一人・伊勢は、宇多天皇の中宮・温子に仕え、のち天皇の寵を得、皇子を産んだが、その御子は早世。その後、敦慶親王との間に、後年、女流歌人となる中務(なかつかさ)を産んだ。
この話は、伊勢が若い頃、藤原仲平と恋愛していたときのこと。

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【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』

巻二十四
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今昔物語集 現代語訳

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