巻24第49話 七月十五日立盆女読和歌語 第四十九
今は昔、七月十五日の盂蘭盆の日※1に、たいそう貧しい女が、亡き親のために食べ物を供えることができないので、着ていたたった一つの薄紫色の綾の衣を盆に載せて、その上を蓮の葉で覆い、それを持って愛宕寺(おたぎでら)に行って、伏し拝んで泣いていました。
そのあとで、どういうことかと怪しんだ人がこれを見たら、蓮の葉に次のように書いてありました。
奉る蓮(はちす)の上の露ばかりこれをあはれにみよの佛に ※2
(三世の仏様、貧しい私には蓮の上の露ほどのものしかお供えできませんが、どうぞつゆほどの情けをおかけください)
これを見た人はみんな哀れに思ったことです。この女がなんという者なのかは分からずじまいであったとこのように語り伝えているということでございます。
【原文】
【翻訳】 松元智宏
【校正】 松元智宏・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 松元智宏
※1 旧暦七月十五日なので、現在は八月十五日。つまりお盆です。
※2 「露」が蓮の上に置いた着物が露のように儚いお供え物だという比喩であり、ほんの少しの情けの「つゆ」と掛けています。また、「みよ」に「見よ」と「三世」が掛けてあります。かなり技工を凝らした和歌です。
和歌をしたためる才女の正体は?
平安時代に教育を受けることができたのはごくわずかな人々だけで、基本的に読み書きができたのは上流階級の人々に限られていました。平安時代の「識字率」は大体5パーセント以下だと言う説もあります。しかも、この女性は見事な和歌を詠んでいます。
おそらく、この女性は裕福な貴族の娘だったのでしょう。親が政治的な争いで殺されたのか、何らかの理由で親族の庇護を受けられなくなったのでしょう。平安時代には現代のように社会的なセーフティネットがないので、一度没落したら生きることさえ困窮する事態に陥るという残酷な姿がそこにはあります。
お盆のお供えに着ていた着物しか用意できない。しかも女性にとって着物は大事なものでしょうに、それすらお供えして仏に情けをすがるしかない女性の困窮した状況を思うと切なくなる物語です。



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