巻6第44話 震旦僧感持観無量寿経阿弥陀経語 第四十四
今は昔、震旦(中国)の并州に僧がありました。名を僧感といいます。
心を発し、観無量寿経と阿弥陀経を読誦することを業として、長い月日を過ごしました。
ある日、夢を見ました。
「わたしの身体に翼が生えている。不思議なことだ」
見ると、左の翼には観無量寿経の、右の翼には阿弥陀経の文があります。僧感はこのふたつの翼で飛ぼうと試みましたが、身体がまだ少し重く、飛ぶことはできませんでした。そこで夢から覚めました。
その後、いよいよ深い信を起こし、このふたつの経を誦持することを怠りませんでした。
三年が経ち、ふたたび以前と同じように翼がはえ、飛ぼうとする夢を見ました。
「身体がすこし軽くなった気がする」
そこで夢から覚めました。
さらに信を深くして、経をたもっていました。二年後、夢を見ました。以前のように翼が生えました。身は軽く、自在に虚空に飛び昇ることができます。西方をめざして飛び、やがて極楽の地に至りました。
そのとき極楽の一仏二菩薩(阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩)が告げました。
「おまえはねんごろに二つ経をたもっていた。その力によって、この世界に来ることができた。しかし、おまえはすぐに娑婆(人間世界)に戻るべきだ。そして、毎日四十八巻(大無量寿経の弥陀の四十八の誓願か)を誦せよ。そうすれば、一千日の後、上品(じょうぼん、最上の極楽)に生まれることができるだろう」
そう教えて、夢から覚めました。
その後、夢で教えられたように、誠の心をつくして、毎日四十八巻を誦して、三年のちに命を終えました。僧感が臥したところには、九茎の蓮華(九品の往生を表す)が生えました。七日の間、枯れ落ちることはありませんでした。人はこれを見て歓喜し、不思議なことがあるものだと語りました。皆は「僧感は必ず極楽に生まれたにちがいない」と讃えたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 西村由紀子
蓮(ハス)は沼や湖などに生えるもので、室内に生えることはない。また、たとえ湖沼にあっても、開花期間は4日間ほどと言われており、一週間咲き続けることはほとんどない。ここで描かれた蓮華は、まさに「不思議なことがあるものだ」である。
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