巻6第40話 震旦道珍始読阿弥陀経語 第四十
今は昔、震旦(中国)の梁の代に僧がありました。名を道珍といいます。念仏を修し、水想観(清水を念ずることからはじまる浄土観相法)をしていました。
あるとき、道珍は夢に水を見ることがありました。百人が同じ船に乗って、西方に行こうとしています。道珍もその船に乗ろうとするのですが、船に乗っている人はそれを許しませんでした。道珍は言いました。
「私は一生の間、西方(浄土往生)の業を修してきました。どうして私は船に乗ることを許されないのですか」
船上の人が答えました。
「あなたの西方の業は未だ終わっておりません。あなたはまだ『阿弥陀経』を読んでいません。さらに、温室(うんしつ)をおこなっていません」
そう言って船は去っていきました。
その後、道珍ははじめて『阿弥陀経』を読み習い、また、多くの僧を集めて、沐浴させました。
ある日、夢にひとりの人が、白銀の楼台に乗ってあらわれました。
「あなたの浄土の業は満ちました。必ず西方に生まれるでしょう」
そう聞いて、夢から覚めました。
これらのことは人には語らず、記録して、経箱の中に納めて置いておきました。知る人はありませんでした。
ついに、道珍の命が終わる時になりました。山の頂に、数千の火を燃したような光明がありました。よい香りが寺の内に満ちました。人々は、「道珍は必ず極楽に生れたにちがいない」と考えました。
後に弟子たちが師の経箱を開て見ると、この記録がありました。そのときになって、このことは世に広まり、いよいよ信を発しました。
『阿弥陀経』は必ず読むべきです。また、温室の功徳も量れりしれないと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 草野真一
浄土教の根本経典は三種あり、浄土三部経と呼ばれる。『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』である。この話は『阿弥陀経』が足りませんという話だが、日本の浄土教(主として浄土宗と浄土真宗)とは教えがずいぶん異なっている。
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