巻2第12話 王舎城灯指比丘語 第(十二)
今は昔、天竺の王舎城(マガダ国の都)に、一人の長者がありました。家は大いに富み、無量の財宝がありました。一人の男子が生まれました。世に並ぶものがない端正な子でした。
その子は生まれたときから、指から光を放ち、十里(約39㎞)を照らしました。父母はこれを見て、かぎりなく歓喜しました。これによって、子は「灯指」と名づけられました。
阿闍世王(あじゃせおう、アジャータシャトル)はこれを聞くと、勅を発し、「子を連れて参れ」と命じました。長者は灯指を抱いて、王宮の門にまいりました。そのとき、子の指の光が王宮を照らしました。宮の内の諸物は、みな金色に照らされました。王は怪しみました。
「これは何の光か。たちまちに我が宮を照らした。仏が門にいらっしゃったのか」
使いの者を門にやって見させると、言いました。
「この光は、王がお召しになった小児の手の指から発せられたものです」
王はこれを聞くと、子を宮内に召し入れ、みずから手をとって眺め、奇異に思いました。
王は子をとどめ、夜になってから象に乗せ、前に立てて、庭園に入らせました。子は指から光を放ち、暗き夜を照らして、昼のようでした。王はこれを喜び、多くの財を与えて帰ししました。
灯指はやがて成長し、父母を亡くしました。その後、家は徐々に落ちぶれ、財は盗賊に奪われました。蔵は空になり、使用人はいなくなり、妻子も灯指を捨てて去りました。親族はみな亡くなりました。昔親しくしていた人も、敵のようになっていました。頼りにする者がなくなって、住むところもありませんでした。着物もなく、裸でした。町で食を乞い生きていました。灯指は思いました。
「私はどうしてこのような貧窮に見舞われ、苦しんでいるのだろう。身を捨てたいと思うが、みずから死ぬこともできない」
思い煩い、墓に行って屍骸をかつぎ、錯乱者をよそおって王宮に入ろうとしましたが、守門の人に打たれ、入ることはできませんでした。身体は打たれて壊され、声をあげて泣き叫びました。屍骸を持って家に帰り、歎き悲しんでいると、屍骸が変じて黄金になりました。しばらくすると屍骸は壊れ、頭手足になりました。金の頭手足は地に満ち、豊かな蔵が建ちました。富貴は以前に勝りました。妻子も使用人も戻ってきました。友は以前と同じように親しくしてくれました。灯指はおおいに喜びました。
阿闍世王はこれを聞き、金の頭手足を取りあげました。すると、頭手足は死人のものに戻ってしまいました。これを手放すと、また金になりました。
灯指は思いました。
「王はこの金を得ようとしているのだ」
灯指は金の頭手足を王に奉りました。さらに、さまざまな珍しい宝を多くの人にほどこしました。みずからは世を厭い、仏の御許に詣でて、出家して、羅漢(聖者)になりました。屍骸の宝は灯指の身に随い、失われることはありませんでした。
ある比丘がこれを見て、仏に問いました。
「灯指比丘はどんな因縁があって、指の光があるのですか。また、どんな因縁があって、貧窮になったのですか。屍が金となって随うのはなぜですか」
仏は答えました。
「灯指は昔、波羅奈国(ばらなこく、ヴァラナシ)に生まれ、長者の子となった。外に遊びに出て、夜になって家に帰り、門をたたいても誰も答えなかった。しばらくすると父母が来て、門を開けてくれた。子は母をののしった。その罪によって、地獄に堕ち、苦を受けることになった。地獄の罪をつぐない、今、人間世界に生まれたが、罪が残っていて、貧苦を受けることになった。九十一劫(一劫は宇宙が誕生し消滅する時間)の昔、毗婆尸仏(びばしぶつ、過去七仏)が涅槃に入った後、大長者として、指が落ちた泥の像を見ることになった。この指を修理して、願をたてた。『私はこの功徳によって、人間世界に生まれ、富貴を得る。また、仏に会い、出家して、道を得る』。灯指は仏の指を修治したから、今は指から光を放ち、屍の宝を得ることになったのだ」
これを見れば、冗談であっても、父母をののしってはならないことがわかります。無量の罪を得ることになります。また、仏の相好が損じ欠けているのを見たならば、たとえ土であっても、修治するべきです。このように無量の福を得ることになります。そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
本話においてアジャータシャトル(阿闍世王)が登場するのは、彼が父殺しの王だからだ。
アジャータシャトルはデーバダッタ(提婆達多)の讒訴により父王ビンビサーラ(頻婆娑羅)を幽閉し、餓死せしめた。これは『観無量寿経』(浄土宗、浄土真宗などの根本経典のひとつ)に記されている。
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