巻1第23話 仙道王詣仏所出家語 第廿三
今は昔、天竺に都城がふたつありました。それぞれ花子城(けしじょう)、勝音城(しょうおんじょう)といいました。ふたつの都城は、栄えたり衰えたりしました。
あるとき、勝音城の人がみな富んで楽しむことがありました。仙道王のころです。政治はうまくいきましたし、病人はなく、五穀はゆたかに実りました。后を月光(がっこう)、太子を頂髻(ちょうまん)といいました。大臣がふたりあり、それぞれ利益(りやく)と除患(じょげん)といいました。
王舎城(花子城)の王は影勝(ようしょう)、后は勝身(しょうしん)、太子は未生怨(みしょうおん)といいました。行雨(ぎょうう)という大臣がおりました。
あるとき、仙道王は王宮に多くの人を招き、大宴会を催し、人々に問いました。
「我が国と似ているような国はあるか」
その座には摩竭提国(まがだこく)の商人も招かれていました。彼は言いました。
「ここから東に向かったところに、王舎城があります。この国ととてもよく似た国です」
仙道は問いました。
「かの国にないもの・不足しているものはあるか」
商人は答えました。
「かの国には財宝がありません」
これを聞くと仙道王は、美しい財宝を金の箱に盛り、書状をつけて影勝王に送りました。
影勝王は書状を読み、贈り物の箱を開けて、おおいに喜びました。そのうえで配下に問いました。
「かの国にないもの・不足しているものはあるか」
人々は答えました。
「かの国はたいへん栄えています。しかし、織物がありません」
影勝王はこれを聞くと、国の名産である織物を箱に盛り、書状をつけて仙道王に送りました。
仙道王はこれを見て、とても驚き、贈り物を持ってきた使者に問いました。
「おまえの国の王は、どんな人物か」
「たいへん偉大な方です。そこはあなた様に似ています。勇敢な心を持ち、戦上手で知られています」
仙道王はこれを聞くと、即座に五徳の甲冑を造らせ、使者に持たせました。
五徳とは、一に、暑いときそれを着れば、凉を得られる。二に、いかなる刀で斬ることもできない。三に、いっさいの矢を通さず、四に、つけると光り輝く。王はこの甲冑に書状をつけて、送りました。
(「五徳」とあるのに四得しか述べられていないのは、「毒を避ける」という一項が抜けているためと言われている)
書状を読み甲冑を見て、王は「これは素晴らしいものだ」と思いました。この甲冑の価値は、金貨にして十億だといいます。もしこれに返礼できるものがあれば、王が愁うことはなかったでしょう。
王が愁い、歎いている様子を見て、行雨大臣が問いました。
「王よ、何があったのですか」
王はつぶさに理由を答えました。
大臣は言いました。
「仙道王は宝の甲冑を送ってくれました。しかし、わが国には仏がいます。これはわが国の宝であり、どこの国も得ることはできません。十方世界(八方向に上下をくわえたすべての方向)に、我が国に並ぶ国はありません」
王は言いました。
「たしかにそうだ。では、どうしたらいい」
大臣は言いました。
「織物に仏のすがたを描いて、これを使者に持たせるとよいでしょう」
王は言いました。
「では、私はこのことを仏に伝えることにしよう」
仏は言いました。
「たいへんよいことだ。妙なる心をもって、仏の絵を描き、かの国に送るといい。画の下に、三皈(さんき、三帰依文。仏法僧への帰依を表現したもの)を書きなさい。次に、十二縁生の流転還滅を書きなさい。その上にこう記しなさい。
汝当求出離(汝は出家して真実の道を求め)
於仏教勤精(仏の教えに帰して精進せよ)
能降生死軍(そうすれば生死を超えられるだろう)
如象摧草舎(象が小屋の芝草を押しのけるように)
於此法律中(仏の教えにある戒律を保ち)
常修不放逸(常に怠らず修行して放逸に流れなければ)
能竭煩悩海(煩悩をすべて断ちきり)
当尽苦辺際(生きる苦を超えることができるだろう)
王は仏の教えにならい、すべてを書き終えると、使者に授けて言いました。
「この画をかの国に持っていったならば、広く明るいところに幡(はた)と天蓋をかけ、美しく荘厳し、香をたき、花を散じ、この画をかけなさい。もし、『これは何だ』と問われたならば、『これは仏のすがたを描いたものです。仏は王位を捨て、正覚(正しいさとり)を得られました』と答えなさい。上下に書かれてあることについては、問われたら答えるといい」
王は画像を金の箱に納め、書状をつけて、仙道王に送りました。
使者はまず、王に書状を届けました。王は書状を読むと、たちまち憤激し、大臣に告げました。
「私はまだ、かの国のことを知らない。善悪もわからない。にもかかわらず、なぜかくもありがたい、素晴らしいものをよこすのだ」
大臣は答えました。
「以前聞いていたことから推量しても、かの国の王は大王を軽んじたわけではありません。彼の言に耳を傾けるべきと考えます」
使者は続いて、道路に幡をたて天蓋をかけ、美しく荘厳し、香をたき、花を散じて、多くの人をしたがえて画をとどけました。
仙道王はみずから四兵(象兵、馬兵、車兵、歩兵)をひきいて進軍しました。この美しい光景を見ましたが、信じませんでした。逆に軽蔑してやろうと考え、大臣に命じました。
「すみやかにもっと多くの兵を集めよ。私は摩竭提国を攻め落とす」
大臣はいさめました。
「それはよく考えてからなさった方がよいと思われます」
王は大臣の言うことを聞き、書状にあるように、都城にもどり、ゆっくりと画を見ました。そのとき、中国の商人が異口同音にとなえました。
「南無仏」
仙道王はこれを聞くと、身の毛がよだつほどの恐怖に襲われました。商人たちに文の意味をたずね、これを誦(じゅ)して、王宮に帰りました。王は文の意味をひたすら考え、夜を明かしました。彼はやがて、座を起つことなく須陀洹果(しゅだおんか、聖者の初めの位)を得ました。
(巻一第二十三話②に続く)
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
ビンビサーラ王と阿闍世コンプレックス
花子城は別名を王舎城といい、国名を摩竭提国という。摩竭提国はのちにインド最初の統一帝国となるが、この話のころ(影勝王のころ=仏陀在世のころ、紀元前五世紀ごろ)は、まだそれほどの勢力を持ってはいなかった。
影勝王について、王妃や王子、大臣の名まで記されているのは、この王が仏教の有名人だからである。
影勝王はビンビサーラ王といい、子によって幽閉され、死に至った。浄土宗や浄土真宗の根本経典『観無量寿経』のメインエピソードになった話の登場人物である。この話は、手塚治虫の『ブッダ』でも重要なエピソードとして描かれている。
王子の名は未生怨とされているが、これは意訳で、生まれる前から怨みを抱いていたことを示している。未生怨とは阿闍世(あじゃせ、アジャータシャトル)であり、彼は出生そのものを怨んでいた。心理学者の古沢平作、小此木啓吾はこれを阿闍世コンプレックスと呼び、フロイトが提唱した父を殺し母と結ばれることを願うエディプスコンプレックスと対置する形で紹介している。
象軍について
ここで仙道王がひきいた軍のうち、象軍(象兵)は性能のよい銃器が一般化するまで、最強の軍隊であった。古代、象に勝てる兵器は存在しなかった。
ただし、欠点もあった。象軍は酒を飲んで酩酊し凶暴になった象によって編成されるが、うまく操らないと味方を攻撃してしまう。味方の象によってふみつぶされた歩兵はずいぶんあった。象をいかに操るかは長く兵法の要諦であった。
アレクサンダー大王(紀元前四世紀)はマケドニアを起点としてギリシャ・ペルシャ・エジプト・シリアを占領した英雄であるが、インドにはついに侵入できなかった。一説によれば、象軍になすすべがなかったからだと伝えられている。
象軍はアレクサンダーの死後、シリアに入った。唐の時代には中国にも象軍があったという。
城とは都市のことである
この話にはふたつの城(都城と訳した)が登場するが、これは日本ではほとんど見ることのできない町をかこむ形で城壁が築かれるタイプである。「城」ではなく「都市」と呼んだ方が実状に近いだろう。この話の舞台であるインドはもちろん、中国でもたいがい「城」といえば都市を意味する。
日本では城壁の外に町がつくられるのが普通だが、これは山ばっかりの国の特殊な慣習だ。
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