巻二十四第十一話 竜を見た男を治した名医の話

巻二十四

巻24第11話 忠明治値竜者語 第十一

今は昔、□□天皇の御代に、天皇が内裏においでになっている間、ちょうど夏の頃のことで、涼もうと、滝口(たきぐち・宮中警護の武士)の侍たちの多くが八省(はっしょう・八省院のこと。朝堂院ともいい、中央行政官庁の総合庁舎)の廊に出ていました。
所在ないままに一人の滝口の侍が、
「どうも退屈でしようがないから、ひとつ酒と肴を取りにやらせようではありませんか」
と言うと、他の滝口たちがこれを聞き、
「それは名案だ。さっそく取りにやらせよう」
と口々に催促するので、この言い出した滝口の侍は従者の男を呼び、松明を持たせて使いに出しました。

男は南の方へ駆けて行きました。
「もう十町(じゅっちょう・約1㎞)ほどは行ったか」と思われる頃、空が曇り、夕立が降ってきましたが、滝口たちは話をしながら廊に居るうちに、雨もやみ、空も晴れました。
「もうそろそろ酒を持って来るだろう」と、待っていましたが、日が暮れても使いに出した男が帰って来ません。そこで、
「もう、帰ろうや」
と言って、みな内裏に帰ってしまいました。
あの酒を取りにやらせた滝口の侍は、機嫌をそこね、腹立たしく思っても、どうしようもなく、皆と一緒に詰所の滝口所へ帰って行きました。
しかし、使いの男が夜になっても現れないので、「どうもおかしい。これは、ただごとではあるまい。あの男は道の途中で死んでしまったのだろうか。もしくは、重い病になったのだろうか」と、一晩中、心配しながら夜を明かしました。
夜明けを待ちかねて、早朝、大急ぎで家へ飛んで行き、真っ先に昨日、この男を使いに出したことを語りました。
すると家の者は、
「その男は確かに昨日帰って来ましたが、死んだようになって、あそこに寝ています。何ひとつ口をきかず、[くたくたになっ]て寝ているのですよ」
と言うので、滝口の侍が側に寄って見ると、本当に死んだようになって寝ています。
ものを尋ねても答えようともしませんが、[それでも]びくびく身体を動かしています。

どうにも不思議でならず、滝口の侍は近くに住んでいた忠明朝臣(ただあきのあそん)という医師の許へ行き、
「これこれの次第なのですが、いったいどうしたことでございましょう」
と、尋ねました。
忠明は、
「さてね。どうとも分かりませんな。だが、そういうことなら、□□灰をたくさん取り集め、その男をその灰の中に埋めておいて、しばらく様子を見なさい」
と、教えました。
そこで滝口の侍は帰って来て、忠明の教えた通りに灰をたくさん集め、その中に男を埋めおき、三、四時間ほどしてから様子を見ると、灰が動き出しました。
かきのけて見ると、この男は意識を取り戻していました。
またしばらくして水を飲ませなどしているうち、人心地がついたようなので、
「いったいどうしたのだ」
と、訊くと、男が言うには、
「昨日、八省の廊で仰せを承り、美福門(びふくもん)の通りを南に走って行きましたところ、神泉苑(しんせんえん)の西側のあたりで、にわかに雷鳴がとどろき、夕立が降ってきました。と思う内に、神泉苑の中が真っ暗になり、西に向けて暗くなっていったのをずっと見渡しますと、その暗がりの中に、金色の手がきらっと光って見えました。それをふと見ましてから、あたり一面真っ暗になって何も見えず、頭がぼうっとしてしまいましたが、かといって道に寝てしまうわけにもゆかず、気力を振り絞って、この家へやってきたまでは、ぼんやり覚えております。それから先のことは、まったく覚えておりません」
と、答えました。

神泉苑(京都市中京区)

滝口の侍はこれを聞いて不思議に思い、また忠明の家へ行って、
「あの男を仰せのままに灰に埋めましたところ、しばらくして人心地がつき、これこれ申しました」
と言えば、忠明は会心の笑みを浮かべ、
「思ったとおりだ。人が竜の姿を見て病みついたときには、あれ以外に治療の方法はないのだ」
と、言ったので、滝口の侍はそのまま家へ帰って行きました。
その後、滝口の詰所へ行き、他の侍たちにこの話をしたところ、滝口の侍たちも忠明に感心して褒め称えました。
世間にもこの話が伝わり、みな忠明を褒めました。

おおよそこのことだけでなく、この忠明という者は名医であった、とこう語り伝えているということです。

【原文】

巻24第11話 忠明治値竜者語 第十一
今昔物語集 巻24第11話 忠明治値竜者語 第十一 今昔、□□天皇の御代に、内裏に御ましける間、夏比冷(すずみ)せむとて、滝口共数(あまた)八省の廊に居たりける程に、徒然也ければ、一人の滝口有て、「此く徒然なるに、酒肴を取りに遣し侍らばや」と云ければ、外の滝口共、此れを聞て「糸吉き事也。早く取りに遣はすべし」と口々...

【翻訳】 柳瀬照美

【校正】 柳瀬照美・草野真一

【解説】 柳瀬照美

丹波忠明は、権針博士、医博士、近江掾などを経て、万寿3年(1026)11月、典薬頭に任じられ、長元2年(1029)正月、丹波介を兼ね、従四位下になる。長久5年(1044)4月に出家。
三条・後一条・後朱雀の三代の天皇の治世で、名医として知られた。

本話は事実譚らしく、後朱雀天皇の御代、仁海の請雨経修法時、もしくは、後冷泉天皇の康平8年(1065)6月、仁海の弟子・成尊の請雨修法時のことであったという。

【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』

【協力】ゆかり・草野真一

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