巻24第5話 百済川成飛騨工挑語 第五
今は昔、百済川成(くだらのかわなり)※1と呼ばれる絵師がいました。世に並ぶものが無いほどの名人でした。滝殿(たきどの)※2の石もこの川成が設計したものです。同じ御堂の壁の絵も、この川成が描いたものであります。
ある時、川成の従者の童子が逃げてしまいました。東に西に捜し求めましたが見つからないので、ある貴族の下僕に、「私が長年使っていた従者の童子が逃げてしまった。これをさがして捕まえてきてくれ」と言いました。下僕は、「お安い御用ですが、童子の顔を知っていれば捕まえられます。顔を知らないのでどのようにして捕まえましょう」と言いました。川成は、「なるほどもっともなことだ」と言って、懐紙を取り出して、童子の顔だけを描いて下僕に渡し、「これに似た童子を捕まえてくれ。東、西、両京の市※3は人が集まるところだ。そのあたりに行って捜すといい」と言いました。下僕はその似顔絵を手にして、さっそく市に出かけました。
人は極めて多いとはいいましても、絵に似た童子はいません。しばらく市にいて、「もしや」と思っていると、似顔絵に似た童子が歩いてきました。似顔絵を取り出して比べてみますと、まったく違うところもありません。「この子だ」と捕まえ、川成のもとへ連れていきました。川成がこれを見ると、まさしく当の童子だったのでたいへん喜びました。この話は噂として広まり、人々は川成の絵師としての技量をたたえました。
ところで、その頃、飛弾の工(たくみ)という工匠がいました。平安京に遷都したときに腕をふるった工匠であり、世に並ぶもののない名人でした。武楽院※4はこの工が建てたものであるから、かくもすばらしいのでありましょう。
さて、この工はかの川成と互いに業(わざ)を競っていました。ある日のこと、飛弾の工が川成に、「わたしの家に一間四面の堂※5を建てました。お越しになって見てください。また壁に絵などを描いていただきたいと思っております」と言いました。互いに挑みながらも仲良く冗談も言い合う間柄なので、川成は「そういうことであれば」と、飛弾の工の家に行きました。
行ってみますと、まことにすばらしい技工を凝らした小さなお堂です。四面の戸が全て開いています。飛弾の工が、「お堂の中に入って、中を御覧ください」と言いますので、川成は縁に上がり、南の戸から入ろうとしました。すると、その戸がハタ※6と閉じました。驚いて、ぐるりと廻って西の戸から入ろうとしました。すると、またハタと閉まります。同時に、さっき閉まった南の戸が開きました。そこで、北の戸から入ろうとすると、その戸は閉じて先ほどの西の戸が開きます。また東の戸から入ろうとしますと、その戸は閉じて、北の戸が開きます。こうして周囲をぐるぐる廻りながら何度も入ろうとしますが、閉じては開くの繰り返しで入ることはできません。仕方なく縁から降りました。その間、飛弾の工は笑いがとまりません。川成は、「しゃくなことだ」と思って帰りました。
その後、数日経って、川成が飛弾の工のところに使いを出しました。「我が家においでください。お見せしたいものがあります」。飛弾の工は、「きっとおれを謀ろうとしているな」と思って行かないでいましたが、たびたび丁寧に招待しましたので、工は川成の家に行きました。使用人に来たことを伝えると、「こちらへお入りください」と案内する。言われるままに廊下に有る引き戸を開けました。開けたすぐそこに、大きな人間が、黒ずみ、脹れ、腐って横たわっていました。あまりの臭さににおいが鼻に染み入るようです。思いがけずこのようなものを見ましたので、声を上げて恐れおののいて庭まで飛び退きました。
川成は部屋の中にいて、この声を聞いて大笑いをしていました。飛弾の工は「怖ろしい」と思って土の上に立っていますと、川成が引き戸から顔を出して、「や、そんなところにいますな。かまわずに入って来なされ」と言いますので、おそるおそる近寄ってみますと、なんと、部屋を仕切る衝立に死人の絵が精巧に描いてあるのでした。堂でだまされたのを悔しくて、このようなことをしたのでした。
二人の業は、このようでありました。当時はどこでもこの話でもちきりで、この話をする人は皆二人をほめたたえた、とこのように語り伝えているとのことでございます。
【原文】
【翻訳】 松元智宏
【校正】 松元智宏・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 松元智宏
※1 百済からの渡来人の子孫なので百済さん。すぐれた画技がはじめて正史で特筆され、平安時代世俗画の出発点とされる人物です。
※2 滝殿とは、滝に臨むようにして建てた殿舎のこと。寝殿造の庭園では南に池を配置しました(枯山水とは真逆で興味深いです)。そこに滝を誂え、川成がデザインして石を配置したというわけです。
※3 原文「東西の市」。七条大宮の東市、七条西大宮の西市のこと。朱雀大路を挟んで左右に市がありました。
※4 大内裏内の殿舎の一つ。豊楽院のこと。
※5 1間四方の身舎に四方に庇(ひさし)が廻る平面を持つ堂。
※6 原文も「ハタと閉づ」。ハタは擬音語。
川成の絵画と滝殿の石について
主人公である川成の絵画作品は残っていません。しかし、「文徳実録」にも「皆自ら生けるが如し」とあるように写実的な絵画を描いていたようです。当時の主流が「源氏物語絵巻」などに代表される大和絵であったことを考えると、彼はナンバー1ではなくオンリー1な才能の持ち主だったのではないでしょうか。
特に、絵を見ただけで臭いを感じてしまう描写が生々しくて迫力を感じます。当時は飢饉や戦乱で都が荒れると大路に死体が転がったまま放置されたと言いますから、死臭は身近なものであったのでしょう。見るだけで臭いの記憶が刺激される、そんな状況に京の人々があり、臭いの記憶を刺激してしまうくらい川成の写実の技工が精緻であったということなのでしょう。
なお、本話でも触れられている滝殿の石ですが、嵯峨の大覚寺の滝殿とする説があり、現在は「名古曽(なこそ)の滝跡」として観光名所の一つになっています。名前の由来は「百人一首」に残る次の和歌によります。
「滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」藤原公任(ふじわらのきんとう) 小倉百人一首 55番
公任が訪れたときにはすでに枯れ滝になっていたのですね。
古典における擬音語について
本話では扉が閉まる音をハタと表現しています。古典の世界では、矢はひいふっと当たりますし、犬はびょおびょおと鳴きます。古文独特の語感を残すためにあえてハタはそのままに訳しました。現在でも狂言の言い回しの中に面白い擬音語が残っていて、猫は「ねうねう」と鳴き、のこぎりで切る音は「ずか、ずか、ずか」です。
音をどう表現するのか、というのは時代や文化でも大きく異なり、例えば英語でにわとりの鳴き声は「クックドゥードゥルドゥー」で、犬は「バウ!」です。こうした音の表現一つとってみても、日本語について考えさせられる一つの指標にもなります。
以下の本がお勧めです。
「犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い」 (光文社新書)/山口 仲美
【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ③』(小学館)
この話をさらに読みやすく現代小説訳したものはこちら
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