巻二十四第三話 小野宮の饗宴で九条大臣が素晴らしい衣を授かった話

巻二十四

巻24第3話 小野宮大饗九条大臣得打衣語 第三

今は昔、小野宮大臣が、大宴会を催したとき、九条大臣が主賓としてお越しになりました。
宴の引き出物は、女物の装束ひとそろいでした。それには砧で打った紅色の細長が添えられておりました。前駆が手に持って出て行こうとしましたが、うっかり落としてしまい、遣り水に落ちてしまいました。慌てて引き上げ、水を払ったところ、ぱっと乾いてしまったのです。しかも、水に落としたはずの袖は少しも濡れたようには見えず、もう片方の袖と比べてみると、同じように砧で打った跡が残っているのでした。これを見た人は、この砧打ちの素晴らしさを褒め称えたのです。
昔は砧で打った衣もこのように素晴らしかったのです。今の世の中では到底お目にかかれないものですが。と、語り継がれているのです。

砧石の上に置かれた布と杵。北海道札幌市厚別区「北海道開拓の村」

【原文】

巻24第3話 小野宮大饗九条大臣得打衣語 第三
今昔物語集 巻24第3話 小野宮大饗九条大臣得打衣語 第三 今昔、小野宮の大臣の大饗行ひ給ひけるに、九条大臣は尊者にてなむ参給へりける。 其の御送物に、得給たりける女の装束に副へられたりける紅の打たる細長を、心無かりける前駆の取て出けるに、取□して、遣水に落し入れたりければ、即ち迷(まどひ)て、取上て打振ひければ...

【翻訳】
青柳明佳
【校正】
青柳明佳・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
青柳明佳

小野宮大臣:藤原実頼
九条大臣:藤原師宣
と言われています。

藤原実頼『前賢故実』より

村上天皇の治世、左大臣・右大臣として政を行っておりました。
実頼の呼び名『小野宮大臣』は、実頼の邸宅が小野宮(平安京、烏丸小路の西、冷泉小路の北あたり。旧京都商工会議所付近)にあったからと言われています。また、師直の『九条大臣』と言う呼び名も左京の九条坊門に本宅があったからと言われています。
二人とも有職故実に通じ、小野宮流、九条流という有職故実の祖と言われています。

細長は平安貴族の盛装として、現代では皇室の儀礼や、地鎮祭、竣工清祓のときに奉仕する童女が着用する装束として受け継がれているものです。ただ、実は不明な点が多く、実際どのような装束だったのか、定かではありません。
大きく分けて二種類の細長があり、ひとつは産着細長。これは、乳児期から3~4歳くらいまでの童が男女問わず着用したものと言われています。時代が下るにつれ、出産祝いの品として贈答されるようになりました。
もう一つがこどもから若い女性までが着用していたとされるもの。平安時代のものには諸説あるため、どういったものを指していたのかは不明です。現代でも用いられている細長は、一般的には袿のような着物で、袵という前身頃にある打ち合わせ部分がない、羽織のような形をしています。また、脇が縫い合わされておらず、前後の裾を左右に分けて、後ろに長く引いていたようです。
ここではわざわざ「女の装束に副へられたりける紅の打たる細長(原文)」とありますから、おそらく後者を指すものと思われます。
「砧で打った紅色の細長」とあります。
平安時代にはアイロンなどありませんから、木槌で布を打って、しわを伸ばしたり、布を柔らかくしたり、また光沢を出していました。百人一首にもこの砧で衣を打つ歌が収められています。(み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり :参議雅経)
「昔の撥水技術はすごかったんだなぁ」と、過去を懐かしむお話です。

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