巻六第十二話 生き返った僧が蓮の葉を食べる話

巻六(全)

巻6第12話 震旦疑観寺法慶依造釈迦像得活語 第十二

今は昔、震旦に疑観寺という寺がありました。その寺に、法慶という僧がありました。開皇三年(西暦583年)、法慶は夾紵(乾漆造)の釈迦の立像をつくりました。高さは一丈六尺(約4.85メートル、仏像にもっとも適当とされる大きさ)です。法慶は像の完成を見ずに亡くなりました。

同じ日、法昌寺という寺の大智という僧が亡くなりました。大智は三日後に生き返り、寺の僧たちに語りました。
「私は死んで閻魔王の御許に行き、疑観寺の法慶を見た。法慶にはまだ愁歎の気色があった。そのときふと見ると、やんごとなき僧がひとり、王の御前にいらっしゃった。僧は王に言った。
『この法慶という僧は、私の像を造っていたがまだ造り終えていない。なぜ、彼を死なせたのだ』
王は家臣に問うた。
『死んだ法慶にはまだ寿命があったのか』
『法慶の寿命は尽きていませんでした。しかし、食が絶えたのです』
王は言った。
『すみやかに蓮の葉を法慶に与えよ。福業をまっとうさせるのだ』
そのとき、法慶のすがたは消えた」
大智が語ったことの実否を知るため、話を聞いた僧が疑観寺に行ってみると、法慶は生き返っていました。大智が話したことに偽りはなかったのです。

法慶は生き返ってからは、常に蓮の葉を食べ、これをもっともうまいものとして、他のものを後回しにしました。

釈迦の像を造り終えて数年後、法慶は亡くなりました。その釈迦の像は相好円満、光を放ち続けています。今も疑観寺にあると語り伝えられています。

【原文】

巻6第12話 震旦疑観寺法慶依造釈迦像得活語 第十二
今昔物語集 巻6第12話 震旦疑観寺法慶依造釈迦像得活語 第十二 今昔、震旦の疑観寺と云ふ寺有り。其の寺に、法慶と云ふ僧住けり。開皇三年と云ふに、法慶、夾紵の釈迦の立像を造る。高さ一丈六尺也。未だ造り畢はらざる程に、法慶、忽に死ぬ。

【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 西村由紀子

疑観寺・法昌寺という寺も、法慶・大智という僧も、詳細がわからなくなっている。

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