巻5第21話 天竺狐借虎威被責発菩提心語 第廿一
今は昔、天竺に山がありました。その山に、狐と虎がそれぞれ住んでいました。
狐は虎の威を借りて、ほかの獣たちをおどしていました。虎はこれを聞いて、狐のところに行きました。
「おまえはなぜ私の威を借り、ほかの獣たちをおどすのだ」。狐は天地の神に誓ってそのようなことはないと言いましたが、信じてもらえませんでした。
狐は仕方なく、その場を逃げ去ろうとしました。走り逃れる途中、落とし穴に落ちてしまいました。その穴は深く、登ることはできませんでした。狐は穴の底に身を横たえ、無常を観じ、菩提心をおこしました。
「昔、薩埵太子は、虎に身を施して、菩提心を発したという(捨身飼虎、解説参照)。私も同じだ」
そのとき大地が揺れ動きました。天の六つの世界(六欲天)が振動しました。文殊菩薩と帝釈天が、ともに仙人のすがたをとって、穴の底の狐に問いました。
「おまえは、どのような心を発し、どんな願を立てたのか」
狐は答えました。
「もし私の考えを聞きたいならば、まず私を引き上げてください。その後で申します」
狐は引き上げられました。
仙人は狐に「早く言え」と言いましたが、狐は登ってしまうと、菩提心をたちまちに忘れ、「言わずに逃げよう」と思いました。その心を見て、仙人は即座に降魔の相(おそろしい顔・姿)になり、釼・鉾(くわ・すき)で責めると、狐はそれまでのことを語りました。仙人はこれを聞くと、慈悲の心を発して、狐を称えて言いました。
「おまえは一念の菩提心を発したことによって、命が終った後、釈迦仏の御世に、菩薩となり、二つの名を得るだろう。一は大弁才天、二は堅牢地神。八万四千の鬼神をつかい、一切衆生(すべてのもの)に福を授けるだろう」
そう語ると、かき消えるように失せました。
仙人は、今の文殊菩薩であり、狐は、今の堅牢地神です。文殊菩薩は、身長は千丈(約3000メートル!)、八本の腕を持ち、中央の二本は合掌しており、残りの六本は、鎰(かぎ)・鋤(くわ)・鎌(かま)・鋤(すき)などを持ち、一切衆生(すべてのもの)に五穀をつくらせ、福を与えます。九億四千の鬼神をしたがえています。
一念の菩提心とは不可思議なものです。世間に「狐は虎の威を借る」と言いますが、これを語り伝えたものです。
【原文】
【翻訳】
西村由紀子
【校正】
西村由紀子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
西村由紀子
虎の威を借る狐
「虎の威を借る狐」ということわざのルーツ話として語られているが、中国の『戦国楚策』に由来するもので、この話ではない。
また、この話はインドに伝わっているわけでも仏典にあるわけでもない。どうやら創作らしいが、それにしては……。『今昔物語集5』(講談社学術文庫)はハッキリ「さほどおもしろいものではない」と述べている。
捨身飼虎
捨身飼虎とは釈迦の前世の話を集めた『ジャータカ』の中でも有名な話で、この時代にもよく知られたものであったことがわかる。飢えた虎の親子をあわれみ我が肉体を供した王子の話。法隆寺の玉虫厨子にも描かれている。
コメント