巻5第19話 天竺亀報人恩語 第十九
今は昔、天竺に、釣り上げた亀を持って歩いている人がありました。道心ある人がこれを見て、亀をゆずってくれるよう頼み、買い取って放してやりました。
その後何年か経って、亀を放してやった人の寝枕で、ごそごそと音がしました。頭を持ち上げ見てみると、枕上に三尺(約90センチ)ほどの亀がおりました。
「どうしてここに亀がいるんだ」
「私は以前、あなたが買い取って放してくれた亀です。釣り上げられ、もはや殺されるほかはないと観念していたところを、あなたは助けてくれました。『何かでお返ししよう』と考えておりましたが、その機会なく時間が経ってしまいました。近々、このあたりでたいへんな大事が起こります。それを告げに参りました。前の川が量りないほど増水し、氾濫し、人も馬も牛も、このあたりのものはみな流され、命を落とすでしょう。この家も流され、川底に沈みます。すみやかに船を手にいれ、洪水に備えてください。親しい人は船に乗せ、助けてあげてください」
亀はそう言って去りました。
「怪しいことだ」とは思いましたが、「わざわざ言いにくるのだ、何かあるにちがいない」と考え、船を手に入れ、家の前につなぎ、乗る準備をして待っていると、その日の夕方からはげしい雨が降り、強い風が吹いてきました。それが終夜つづき、達暁(あけがた)には上流より多くの水が、まるで山のように流れてきました。親族はみな船に乗り込みました。氾濫がとどかない高所をめざし漕ぎ行くと、大きな亀が流されていきます。亀は言いました。
「私は、昨日の亀です。船に乗せてください」
船の人は大いに喜び、「早く乗れ」と言い、亀を乗せてやりました。
つづいて、大きな蛇が流れてきました。船を見て蛇は言いました。
「私を助けてください。死んでしまいます」
船の人は亀に問いました。
「どう思うか」
「このままでは死んでしまいます。乗せてあげてください」
「しかし、小さな蛇でさえ恐ろしいのだ。これほど大きな蛇を乗せてよいものだろうか。逆に私が飲まれてしまう。まったく益のないことだ」
「飲まれることはありません。乗せてあげてください。こういう者こそ、助けるべきなのです」
亀がそういうので、乗せてやりました。蛇は舳先の方にとぐろを巻いていました。大きな蛇でしたが、船が大きかったので、狭く感じることはありませんでした。
狐が流されてきました。
蛇と同じように助けを求めました。亀がまた「助けてあげてください」と言ったので、乗せてやりました。
さらに漕ぎ行くと、男が一人、流されてきました。船を見ると、助けを求めました。船主が助けようとして、船を漕ぎ寄せると、亀が言いました。
「彼を乗せてはなりません。獣は恩を知ります。しかし、人は恩を知りません。このままでは彼は溺れ死ぬでしょうが、あなたの咎(とが)ではありません」
船主は言いました。
「恐ろしい蛇ですら、慈悲の心で乗せてやったのだ。人を乗せないではいられない」
船主は漕ぎ寄せ、乗せてやりました。男は喜び、手をすり、泣きました。
何度か船を漕ぎ寄せることはありましたが、水は落ち着き、やがて元の川に戻りました。助けた者たちは、それぞれ帰っていきました。
ある日、船主の男が道を歩いていると、洪水のとき助けた蛇に出会いました。
「日ごろから、お礼がしたいと思っていましたが、出会うことがなかったのでできませんでした。私が今、生きているのはあなたのおかげです。どうか私のあとについてきてください」
蛇は大きな墓に入っていきました。
とても恐ろしく思いましたが、蛇がふたたび「ついてきてください」と言ったので、穴に入っていきました。
墓の中で蛇は言いました。
「ここには、たくさんの宝があります。みなあなたのものです。命を助けていただいたお礼にさしあげます。好きなだけとって、役立ててください」
蛇はそう言って穴より這い出て去りました。
男は人に命じて、この墓の内の財宝を、あるかぎり自分の家に運びました。
男の家はとても豊かになりました。財をどう使おうか考えていると、船で助けた男があらわれました。
家主の男は問いました。
「何しに来たんだ」
男は答えました。
「命を助けていただいた、そのうれしさから来たのです」
家の中には多くの財宝が積みあがっています。
「この財宝はどうしたのですか」
家主はあったことをそのまま語りました。
「思わぬ大儲けをしましたね。私にもわけてください」
家主は少しわけてやりました。男が申します。
「ずいぶん少ししかくれないのですね。これはあなたがためた財宝ではないでしょう。不意に儲けたものではないですか。半分わけてください」
家主は言いました。
「おかしなことを言いますね。これは、蛇が報恩の気持ちから、お礼にくれたものです。あなたは蛇のように、私に恩を報ずることはありませんでした。にもかかわらず、私が得たものを乞いました。『へんな話だ』とは思いましたが、少しわけてやったら、『半分をよこせ』と言います。まったく非道です」
男は腹を立て、得たものをすべて投げ捨てて去りました。
男は国王のもとに参上し、言いました。
「あの人は墓をあばき、多くの財宝を得ました」
国王は財宝の男を捕え、牢獄に入れました。手足の自由を奪われ、息もできないほどひどい拷問を受けました。叫び声をあげずにはいられませんでした。
そのとき、枕上にごそごそとうごめく者がありました。例の亀です。
「なぜ来たのだ」
「あなたがはげしい拷問を受けていると聞いて来たのです。言ったではありませんか、『人を助けてはいけない』と。人はこのように、恩を知らないものです。もっとも、今それを言ったからどうなるものでもありません。いつまでもこんな堪え難い目にあっている必要はありません」
恩を受けた亀・狐・蛇が集まり、逃れる方法を考えました。
「まず、狐が王宮でと鳴き声をあげます。国王は驚いて占師を呼び、吉凶を問われるでしょう。国王がとても大事にしている姫君があります。彼女に重大なことが起こると占わせましょう。その後、蛇と亀が姫を重病の床につかせます」
翌日、獄の前に多くの人が集まり、語っていました。
「王宮には百千万の狐が鳴いたという。王が驚いて占師に問うと、『姫に重大なことが起こる』と占ったそうだ。姫はすっかり煩いついて、腹がふくれて今にも亡くなりそうだ」
やがて獄の役人がやってきて言いました。
「王は、これを『何のたたりか』と問うた。占いには『罪無き人を獄に落としたたたりである』と出ている。王は『獄にそういう者があるか』と尋ねられた」
獄にある者をすべて調べていくと、男に行き当たりました。
国王はこれを聞き、男を召し出して事の次第を問いました。男ははじめから終わりまで、あったことを正直に話しました。王は言いました。
「罪ない者を獄にいれ、罰してしまった。ゆるしてほしい」
男は放免されました。
「むしろ罰するべきは、おまえを悪く報告した者だ」
王はその男をとらえ、重い罰をあたえました。
「亀が言ったとおり、人は恩を知らぬ」
そう思い知ったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
西村由紀子
【校正】
西村由紀子・草野真一
【協力】
草野真一
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