巻10第6話 唐玄宗后上陽人空老語 第六
今は昔、震旦の唐の玄宗皇帝の代(712~756年)、后や女御が大勢おりました。ご寵愛を受けている者も、皇帝にお目にかかったことのない者もありましたが、皆宮中に住まっていました。
さて、ある公卿の娘に、姿形が大変美麗で、仕草や雰囲気も雅やかで上品な者がいると皇帝がお聞きおよびになって、それは熱心にお召し出しになりました。父母はお断りする訳にもいかず、娘が十六歳のときに出仕させることになりました。宮に入る様子はたいそう立派で豪華なものでした。この国の慣習として、女御になった者は宮から退出するということはありませんでしたので、父母は娘との別れを嘆き悲しみました。
ところで、この娘は皇帝のおわします同じ殿内ではなく、離れた場所に住まわされました。その場所の名を「上陽宮」といいます。その上、どういう訳か、その女御が宮に入った後も、皇帝がお召し出しになることもなく、御使いの者さえ来なかったため、ただ所在なく思いに耽っておりました。しばらくの間は「今にもお召し出しがあるかもしれない」と思っていましたが、年月はただいたずらに過ぎ行き、雅やかだった面影も衰え、美麗な姿もすっかり変わってしまいました。女御の家の者たちは、当初は「我らの娘が宮に入ったからには、きっと何らかの恩恵を蒙ることが出来るはずだ」と思っていましたが、たいそう無念な思いをしました。
この女御を召し出された皇帝が、女御のことを思い出さずにおられたのは、他の女御たちが、この娘の容姿が並々ならぬ美麗さで、自分たちが劣ることを知ったために、謀を巡らして、この女御を押込めてしまったからでしょうか。はたまた、国が広大であるために、政が繁忙で、皇帝がお忘れになっているのを、思い出させて差し上げる人がいなかったからでしょうか。世間の人々はとても不思議に思いました。
こうして、皇帝に親しく拝顔することもかなわず、嘆き暮らすうち、宮の奥深くで年月を重ね、十五夜の月を見るたびに数えていると、女御はすっかり年老いてしまいました。春の日は遅々として暮れず、秋の夜は長くなかなか明けません。そうしている間に、かつての紅顔は若々しい色艶を失い、長く美しかった柳の髪は、真っ白になって黒い筋すらなくなってしまいました。そのため、女御は「近しく仕えてくれている者以外には、お目にかかることはできない」と自らのお姿を恥じるようになりました。
そうして、十六歳で宮に入った女御は今や既に六十歳になっていました。その時、皇帝は「昔そのようなことがあった」とお思い出しになり、たいそう後悔なさいました。そして「なんとしてもひと目会わねばならぬ」と仰せになって女御を召し出そうとなさいましたが、女御は自らの年老いた姿を恥じて、とうとう出てくることができませんでした。この女御を上陽人といいます。
「物事を分かっている人はこんなことを知ったとしてもまさか事実だとは思わないでしょう」とこう、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 草野真一
白楽天の漢詩『上陽白髪人』より得た話。









コメント