巻9第28話 震旦遂州総管孔恪修懺悔語 第廿八
今は昔、震旦の武徳年間(618~626)のはじめのころ、遂州総管府の記室参軍(軍の書記官)、孔恪(くかく)という人がありました。病にかかり、死にました。
一日たつと、生き返って言いました。
「死んだとき、官府に行った。官(冥官)は私に問うた。
『おまえはなぜ牛二頭を殺したのか』
私は答えた。『殺してはいません』
官は言った。
『先に死んだおまえの弟が、おまえが殺したと言っている。なぜおまえは罪を認めようとしないのか』
官は死んで数年になる弟を呼び出した。
弟は枷(首かせ)・械(足かせ)をされ、厳重にしばられていた。官は弟に問うた。
『おまえは兄が牛を殺したと言ったな。虚か、実か』
弟は答えた。
『兄が賊を招き、私に牛を殺させ、賊にふるまったのです。兄の命令で殺したので、私が自ら殺したわけではありません』
私は言った。
『弟に牛を殺させ、賊に食わせたのは、国の仕事としてやったことです。自分に罪はありません』
官は言った。
『おまえはその功で官賞を得て、己が利としようとしたのだろう。そんなものは国の仕事ではない』
官は弟に言った。
『おまえは証(あかし)のために、久しくここに留まった。しかし今、おまえの兄が来て、殺したことを認めた。おまえに罪はない。すみやかに解放しよう。生を受けるがいい』
これを聞くと、弟はなにも言わずいなくなった。
官は問うた。
『おまえにはさらに罪があるだろう。おまえの家に客人があったとき、鴨を殺し、膳としてふるまい、ほめられたことがあった。これは罪ではないか。また、六個の鶏の卵を殺したことがあっただろう』
『私は生まれてこのかた、鶏の卵を食ったことはありません。しかし、九歳のとき、寒食の日に母が六個の卵を与えてくれ、それを煮て食べたのです』
『そうだ。その罪を母に負わせるのか』
『いえ、母に負わせるつもりはありません。ただ事実を述べたばかりです。それは私が殺したものです』
『おまえは他の生物の命を奪った。罪を受けるべきだ』
たちまち青い衣を着た人が数十人が現れ、私を捕えた。
私はそのとき、大声で叫んだ。
『官府はでたらめだ!』
官はこれを聞いて私を呼びもどし、問うた。
『でたらめとはどういうことか』
『私が生まれてからの罪は事細かに記しているのに、善行は記録していない。これはでたらめではありませんか』
官は主司(記録係)を召して問うた。
『孔恪はどんな善を修したのか。どうしてそれを記録しなかったのだ』
主司は答えた。
『善も悪も、みな記録しています。善悪の多少をはかり比べ、もし善が多く罪が少ないならば福を得るべきです。罪が多く善が少なかったならば、罰を受けるべきです。孔恪は善が少なく罪が多かったので、善を述べませんでした』
官は怒って言った。
『おまえが述べるところによれば、善が少なく罪が多かったならば、罰を受けるべきだという。しかし、それは善を記さない理由にはならない』
官は主司を百度、鞭で打たせた。血が流れ、地が染まった。その後、主司は私が修した善をあますことなく述べた。
『おまえは本来、罰を受けるべきなのだろう。しかし、私はおまえを放免してやる。すみやかに現世にかえり、人間の七日間、追善供養しなさい』
官は人に命じて私を送り出させた、と思ったら生き返っていたのだ」
孔恪はその後、僧尼を請じ集め、七日の間、共に行道して、懺悔をしました。心をつくし懃(ねんごろ)に勤めあげ、七日めになると、家人に万事を言い置いて、にわかに死んだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一










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