巻9第3話 震旦丁蘭造木母致孝養語 第三
今は昔、震旦(中国)の漢の時代、河内(河南省)に丁蘭という人がありました。幼少のとき、母をなくしました。
十五歳になるとき、丁蘭は母のすがたを恋い、工人に母の木像をつくらせました。帳(とばり)のうちに置き、生きているときと同じように、本当の母と同じように、朝暮に給仕しました。朝、出かける際には帳の前に行き、「いってきます」と挨拶し、夕に帰宅すればその旨を報告しました。今日あったできごとを必ず聞かせました。世の事も、すべて語りました。
このように熱心にたゆまず孝養して三年が経ちました。丁蘭の妻は悪い女でしたから、このことを憎々しく悪く思っていました。
あるとき、丁蘭が外出したとき、妻が火をつけて、母の像を焼きました。丁蘭は帰宅が遅く夜になったため、木の母の顔を見ませんでした。その丁蘭の夢に、木の母があらわれて語りました。
「あなたの妻が、私の面を焼きました」
夢から覚めて怪しく思い、明くる朝になって見てみると、本当に木の母の面が焼けていました。これを見てから、丁蘭は妻を悪み、愛することはありませんでした。
また、隣の人が丁蘭に斧を借りにくることがありました。丁蘭が木の母にこれを伝えると、木の母は喜ばない様子だったので、斧を借しませんでした。隣の人はこれを大いに怒り、丁蘭が外に行った隙をうかがい、大刀で木の母の臂(ひじ)を斬り落としてしまいました。臂から血が流れ、地に満ちました。丁蘭が帰宅すると、帳の内より痛みを訴える声が聞こえました。驚いて帳を引き開くと、赤い血が床の上に流れていました。あやしんで近づいてみると、木の母の臂が斬り落されていました。
丁蘭はこれを見て嘆き悲しみました。隣の人のしわざと知ると、すぐに行って、隣の人の首を落とし、母の墓にたむけました。
国王はこの話を聞いて、罪を罰することはせず、孝養のためであるからと、丁蘭に禄位を加えました。
木であっても、母と思って孝養を尽くすならば、天地の感ずるところとなります。また、血が木より流れることもあります。孝が重かった故に、殺しの罪は許され、かえって喜びとなりました。孝養はとても貴く、永く伝わり朽ちぬものであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 西村由紀子
『二十四孝』の話。
『今昔物語集全訳注』(講談社学術文庫、国東文麿)解説より:
常識的にいえば、たかが木像の腕を斬られただけで、隣人を殺害し首を取って墓に供えるという行為は狂気的でさえあるが、それが是認され、国王はこれを「孝養の為と有るに依りて」罰せず、「禄位」を与えたとする。すなわち<孝>はすでに親に対する愛や報恩の情に生じる家庭的個人的孝養の次元を超えて、国家的至上原理とされているのである。


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