巻2第2話 仏為摩耶夫人昇忉利天給語 第二
今は昔、仏の母である摩耶夫人(まやぶにん、マーヤー)は、仏を産んで七日後に亡くなりました。その後、太子は城を出て、山に入り、六年苦行を修し、仏になりました。四十余年の間、種々の法を説いて、衆生を教化しました。摩耶夫人は死後、忉利天(とうりてん)に生まれました。
ある日、仏は母を教化するために、忉利天に昇り、歓喜薗(かんぎおん)の波利質多羅樹(はりしつたらじゅ)のもとにおりました。
文殊を使者として、摩耶夫人に告げました。
「摩耶夫人よ、願わくは、私のところに来て、私を見て、法を聞き、三宝(仏法僧)を恭敬してください」
文殊が摩耶夫人の所に行き、仏の言を伝えると、摩耶夫人は乳の汁を出しました。摩耶夫人は言いました。
「もし仏が閻浮提(えんぶだい、人間世界)で産んだ悉駄(しっだ、シッダールタ)であるならば、私の乳の汁は自然と口に入ることでしょう」
夫人が乳をしぼると、その汁ははるかに至り、仏の口に入りました。摩耶はこれを見て、とても喜びました。
そのとき、世界は大きく揺れ動きました(仏の説法にともなう震動、六種震動)。摩耶は文殊と共に仏のもとにやってきました。仏は母の来訪をたいへん喜びました。
「涅槃(悟り)を修して、世間の楽しみや苦しみを離れてください」
仏は摩耶のために法を説きました。これを聞くと、摩耶は宿命を悟り、八十億の煩悩を断って、たちまち須陀洹果(しゅだおんか)を得ました。
摩耶は仏に言いました。
「私は生死を離れて、解脱を得ました」
その場にいた人々は、異口同音に仏に申しました。
「仏よ、私たちのために法を説いてください」
こうして、仏は三カ月、忉利天におりました。
仏は鳩摩羅(くまら、童子の姿をした仏教の守護神)に言いました。
「おまえは今から閻浮提に下りてみなに伝えなさい。『私は遠からず涅槃に入る』と」
鳩摩羅は、閻浮提に下り、仏の言葉を伝えました。人々はこれを聞くと、かぎりなく愁い歎きました。
「私たちは仏のいらっしゃる所を知りませんでした。今、忉利天にいると聞いて、喜んでいたのに、遠からず涅槃に入ると聞きました。願わくは、私たちをあわれんで、閻浮提に下りてください」
鳩摩羅は忉利天に返り、人々の言を仏に伝えました。仏はこれを聞くと言いました。
「閻浮提に下りる」
帝釈天は、仏が下りることを聞くことなく知り、鬼神に忉利天から閻浮提に三つの道をつくらせました。中の道は閻浮檀金(えんぶだんごん、砂金)、左の道は瑠璃(るり、青金石)、右の道は馬瑙(めのう、エメラルド)で飾られていました。
仏は摩耶に言いました。
「生死ある世界は必ず別離のある世界です。私はこれから閻浮提に下り、遠からず涅槃に入ります。お会いするのはこれが最後になるでしょう」
摩耶はこれを聞くと涙を流しました。
仏は母と別れ、宝石の階段を、何人かの菩薩・声聞(弟子)とともに下りていきました。梵天・帝釈天・四天王(いずれも仏教の守護神)がしたがいました。そのありさまの素晴らしさを想像してみてください。
閻浮提には、波斯匿王(はしのくおう、プラセーナジット王)をふくめ、何人かの人が仏が階段を下りてこられるのを喜びつつ待っていました。仏は階段を下りると、祇園精舎に入ったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
釈尊は生まれて一週間で母を亡くしている。その後、父の妃となったのは、母の妹すなわち叔母にあたる摩訶波闍波提(マハー・プラジャーパティー)であった。この人はのちに出家して釈尊の弟子となっているし、母の妹であるからまったくの他人でもない。よくある継母によるいじめなどは当然、なかった。
とはいえ、早くに実母を失ったことが、人間・釈迦の人格形成に大きく作用したのではないか。彼が出家したのは生老病死に悩んだからだが、実母が健在であったなら、若者の胸にこの懊悩が宿ることもなかったのではないか。
(これはあくまで個人的解釈です)
母は死後、忉利天に生まれた。これは天国ではあるけれども、悟ってはいないため、生老病死のある世界である(天人五衰)。釈尊は母にそれより上の段階に入ってもらうため、法を説いたのである。
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