巻1第19話 仏夷母憍曇弥出家語 第十九
今は昔、憍曇弥(きょうどんみ)という人がいました。釈迦仏の叔母であり、母の摩耶夫人(まやぶにん)の妹にあたる人です。
仏が迦維羅衛国(かいらえこく)にあるとき、憍曇弥は言いました。
「女人も精進すれば、沙門(しゃもん、修行僧)になれると聞きました。願わくは、私も出家して、仏の法と律を守って生活したいと思います」
仏は答えました。
「出家はできない」
憍曇弥は同じことを三度願いましたが、仏は許しませんでした。憍曇弥は歎き、悲しみました。
ふたたび仏が迦維羅衛国にいらっしゃることがありました。憍曇弥は前と同じように、「出家したい」と願い出ましたが、仏は許しませんでした。
仏はたくさんの弟子たちとともに、三ヶ月この国にとどまりました。この国を出ていこうというとき、憍曇弥は多くの老女とともに、仏を追いかけました。仏はにわかに止まりました。憍曇弥は以前と同じように、「出家したい」と伝えましたが、仏は許しませんでした。彼女は泣き伏しました。顔色を失い、服には垢がついていました。
阿難はこれを見て問いました。
「どうしてそんな姿をしているのですか」
「私が出家できないのは、女であるせいです。それで歎き悲しんでいます」
阿難は答えました。
「しばらく待っていてください。仏に申しあげてみます」
阿難は仏に言いました。
「私は仏より、女人も精進すれば、沙門の四果を得ることができると聞きました。今、憍曇弥は出家を求め、戒律を受けたいと言っています。願わくは仏よ、これを許してください」
仏は答えました。
「それを願ってはならない。私の法の中で、女人が沙門となることはない。女人が出家し、清浄に梵行を修すると、世に住むことができなくなる。子が生まれなくなるのだ。人は男子が生まれると、これをもって家の栄とする。仏法はこの男子に修行させ、保たせるべきなのだ。女人に出家を許すると、男子を生ずることが絶えてしまう。それゆえ、私は女人の出家を許すことができない」
阿難は言いました。
「憍曇弥は多くの善の心があります。あなたを養育し成長させた人ではありませんか」
仏は答えました。
「そのとおりだ。憍曇弥には多くの善の心がある。同時に、私に恩を感じてもいるだろう。彼女が三宝に帰依し、四諦を信じ、五戒を保つことができるのは、私が仏となったからだ。女人が歩む道は(男性より)厳しい。沙門になるためには、八敬の法を学ばなければならない。水を漏らさないようにするために、強い堤防を築くようなものだ。より精進する必要がある」
阿難は、礼して門の外に出て、憍曇弥に仏の言葉を伝えました。
「歎き悲しむのをやめてください。仏はあなたの出家をお許しになります」
憍曇弥はこれを聞き、大いに歓喜しました。出家して、戒を受け、比丘尼(びくに)となり、仏の法と律を守り、羅漢果を得ました(聖人となった)。
女人の出家はここにはじまります。憍曇弥は大愛道ともいい、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)ともいいます。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【校正】
草野真一
【解説】
草野真一
憍曇弥とは摩訶波闍波提(マハー・プラジャーパティー)であり、釈尊のお父さん・浄飯王が後妻として迎えた人である。釈尊は生まれると同時に母を亡くしているから、彼女はいわば育ての母なのだ。
女性は男性より厳しく修行を積まねばならない。それもあって釈尊は出家を許さなかった。母であった女性に、厳しい道を歩ませたくなかったのかもしれない。
ここには、誰もが僧となり清浄に生きると、人は滅びるという矛盾が語られている。
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