巻9第2話 震旦孟宗孝老母得冬笋語 第二
今は昔、震旦(中国)の呉の時代、江都(江蘇省)に、孟宗という人がありました。父は亡くなり、母は存命でした。孝養の心が深く、老母を養っておりました。
この母は以前より、笋(たかんな、タケノコ)がなければ、食事をすることができませんでした。孟宗は長いこと、朝暮の食事のために笋を探し求め、欠くことがありませんでした。笋がさかんな季節には、求めるのは容易でした。生えない季節には、東西を走り回って掘り出し、母を養いました。
ある冬のこと、雪が深く降り積もり、地面が凍りつき塞がって、笋を掘り出すことができず、母の朝食に笋を備えることができませんでした。このせいで、母は食事のときになっても飲食せず、歎くばかりました。
孟宗はこれを見て天をあおいで歎きました。
「私はこれまで、母を養うために、朝暮に笋を求め供し、欠かすことがなかった。ところが、今朝は雪が深く、地が凍って、笋を求めることができない。このため、母は食事の時になっても、飲食をしない。老いた身で飲食しなければ、死んでしまうだろう。今朝、笋を備えられなかったことはとても悲しいことだ」
そのとき、庭に紫の笋が三本、とつぜん生えてきました。孟宗はおおいに喜びました。
「私の孝養の心が深かったために、天が哀れんでくださったのだ」
それを採って母に備えると、母はとても喜び、ふだんのように飲食しました。
この話を聞く人は、孝養の深いことを貴び、讃めたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 西村由紀子
三国志の時代の話。前話同様『二十四孝』に収録されている。
日本にも移植されたモウソウチク(孟宗竹)の語源。
タケはとても繁殖力が強いので、遠くの竹林のタケの地下茎が庭に生えるのはあり得ない話ではない。
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