巻二十四第五十話 薄幸な妻の最期の歌

巻二十四

巻24第50話 筑前守源道済侍妻最後読和歌死語 第五十

今は昔、筑前守(ちくぜんのかみ・福岡県北西部の国司)源道済(みなもとのみちなり)という人がいました。
和歌を詠むことの名人でありました。

この人が筑前国に下っているとき、そのの男が、長年連れ添っていた妻を京から連れ、守の供をしてその国に下って来ていましたが、男はこの国の女と深い仲になり、そのうちにすっかり心が移ってしまったので、そのままこれを妻にして、もとの妻のことはかえりみなくなってしまいました。

もとの妻は旅の空でどうするすべもなく、夫に告げるには、
「もとのように私と一緒にいてほしいとは決して申しません。ただ、もし上京する人がありましたら、その人に頼んで、私を京へ送ってください」
と言いました。
けれども夫はまったく耳をもかさず、はては女が寄越す手紙さえ見ようとしませんでした。
もとの妻を自分のもといた住まいに置き、男は新しい妻の家に住んで、もとの妻が無事でいるかどうかも、まったく気にとめようともしないので、もとの妻は嘆き悲しんでいるうち、思いがけず病気になってしまいました。

普通の身であってさえもままならないのに、はるか遠く頼りにしてやってきた夫に背かれ、食べ物を手に入れるすべも知りませんでした。
どうにかこうにかやりくりして飢えをしのいでいたというのに、まして重い病にかかっては、どうしようもないほど侘しく、心細い思いで寝ていました。
そこには、京から連れてきた女童がたった一人、付き添っているだけです。
そこで、その子を男のもとへやって、このように患って困り切っておりますと伝えさせましたが、ろくに聞こうともしませんでした。
数日経つうち、すっかり重態に陥り、心細く、誰一人知るべのない旅の空で死んでしまうのかと嘆き悲しみ、かすみゆく意識で震える手に筆をとり、手紙を書いて、この女童に持たせ、男のもとへやりました。
女童はそれを持って、筑前守の屋敷に行きましたが、男はそれを受け取って、ちらりと目を通しただけで、返事もやらず、
「よくわかった」
と言ったきり、何一つ言わなかったので、女童はどうしてよいか分からず、帰って行きました。

ところが、この男の同僚の侍が、そのへんに打ち捨ててあったこの妻の手紙を何気なしに取り上げてみると、こう書いてありました。

とへかしな いくよもあらじ 露の身を
しばしもことの はにやかかると
(もう一度だけ、おいでいただけないでしょうか。もういくらも命のない私ですが、ほんのしばしの間でも、あなたのお言葉を力に生き延びられるかもしれませんので)

この侍はこれを見て、もともと情けのある者であったので、心から同情しました。
「なんとあきれた無情なやつだ」と思うと共に、女を気の毒に思うあまり、「このことを筑前守に知らせてやろう」と思って、この手紙をそっと守に見せました。
筑前守はこれを見て男を召し、
「これは、どういうことだ」
と問いただすと、男は隠しきれず、事の一部始終を話しました。
聞いていた守は、
「おまえという奴は、なんと嘆かわしく、人とは思われない薄情者よ」
と言い、かの妻のもとへ人をやって尋ねさせましたが、妻は手紙を遣わしたまま、女童の帰りを待たずに死んでしまっていました。

使いの男は帰って来て、このことを守に報告すると、守は情けある人で、この上なく同情し、さっそく夫の侍を呼びつけ、
「わしはおまえを長年、目をかけて使っていたのを、むしょうに後悔している、おまえごとき人でなしは近くで見るのもごめんだ」
と言って、男にまかせてあった仕事をすべて取り上げ、どこにも身を宿すべき所を与えず、国府の使者をやって、国外追放に処しました。
こうしてから、死んだ妻の家へ人を遣り、遺骸は見苦しくないように手厚くして、僧などを差し向けて、死後の法事の世話をさせました。

夫の侍は新しい妻のもとにも寄りつかせてもらえなかったので、仕方なく京へ上る人の船に乗せてもらい、塵ほどの貯えも持たず、上京しました。
不人情な者は、自分の心がけから、このようになるのであります。

筑前守は慈悲もあり、情けも深く、和歌を上手に詠む人であったので、このように人を哀れんだのである、とこう語り伝えているということです。

【原文】

巻24第50話 筑前守源道済侍妻最後読和歌死語 第五十
今昔物語集 巻24第50話 筑前守源道済侍妻最後読和歌死語 第五十 今昔、筑前守源道済と云ふ人有けり。和歌を読む事なむ極めたりける。 其の人、其の国に下て有ける間に、侍也ける男、年来棲ける妻を京より具して、守の共に国に下て有けるが、其の国に有ける女を語ひける程に、其の女に心移り畢(はて)にければ、やがて其れを妻に...

【翻訳】 柳瀬照美

【校正】 柳瀬照美・草野真一

【解説】 柳瀬照美

源道済は、式部丞、下総権守などを経て、長和4年(1015)2月に筑前守兼大宰小弐に任じられる。正五位下。寛仁3年(1019)、任地にて没した。

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【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』

巻二十四
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今昔物語集 現代語訳

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