巻二十六第九話 巨大ムカデと大蛇が戦う話

巻二十六

巻26第9話 加賀国諍蛇蜈島行人助蛇住島語 第九

今は昔、加賀国(石川県南部)の下衆(身分の低い者)が七人、徒党を組んで常に海に出ていました。釣りを好んで業として、七人がひとつの船に乗りこんで漁に出て、長いこと過ごしていました。この者たちは釣りに出るとき、常に弓箭(弓矢)・兵仗(刀剣など武器)を持っていきました。

はるか沖に漕ぎ出て、こちらの岸も見えないところに至ったとき、思いがけず荒い風が吹いてきて、さらに沖へ流されました。どんどん流されていって、自分たちの力ではどうしようもないので、櫓も引き上げ、風に任せて、もはや死ぬばかりだと泣き悲しんでいました。行く手はるかに、大きな島があるのを見つけました。
「島があった。なんとかしてあの島までたどりつき、助かりたい」
そう思っているうちに、まるで誰かが引っ張ったように、島に着きました。
「とりあえず助かったようだ」
喜びながらそれぞれに船を降り、船を浜に引き上げて、島の様子を調べました。水が流れ、果物がなっている木もあるようでした。
「食べられるものがないだろうか」
探していたとき、年の頃は二十余の、美しい青年があらわれました。

漁師たちはここが無人島ではなかったことを知りとてもうれしく思いました。
青年は近くに歩み寄ってきて言いました。
「あなたたちは私が呼び寄せたのです。おわかりでしたか」
「まったくわかりませんでした。釣りをするために海に出たのですが、思いがけぬ風に吹かれて飛ばされて、この島を見つけ、喜んで来たのです」
「その風は、私が吹かせたものです」
ああこの人は普通の人ではないのだ、と思っていると、青年が言いました。
「たいそうお疲れでしょう。おい、あれを持って来い」
たくさんの人の足音がして、二つの長櫃が運ばれました。酒の瓶などもたくさんありました。長櫃を開けると、おいしそうな食べ物が入っていました。漁師たちはそれを取出して食べました。一日中漂流していましたから、みなよく食べました。酒もたくさん呑み、残った食物は「明日出してください」といって、もとのように長櫃に入れ置きました。荷を背負った者たちは帰っていきました。

長櫃

主(青年)が近寄ってきて言いました。
「あなたたちを迎えたわけを申します。この島よりさらに沖に、もうひとつ島があります。その島の主は、私を殺してこの島を領地にしようと、常に戦をしかけてきます。これまでは撃退することができましたが、明日の戦は私か彼か、生死を決する日になるでしょう。助けて欲しいと考え、あなたたちを迎えたのです」
「その人は、何艘の船で、どれほどの兵をともなってくるのでしょうか。わたしたちの力は及びませんが、このようにやってきた以上は、命を棄てて仰せに随うつもりです」
青年はこれを聞いて喜びました。
「攻めてくる敵は、人ではありません。迎え撃つ私も、人ではないのです。明日、見ることになるでしょう。まず、彼が島に襲いかかろうとするとき、私はこの上(の山)から下ります。これまで、敵を上陸させず、波打ち際で食い止めてきましたが、明日はそううまくはいかないでしょう。敵をあえて上陸させます。敵は陸のほうが強いですから、喜んで上がってくるでしょう。ここはしばらく私に任せてください。堪え難くなったならば、目くばせして合図します。そのとき、箭(矢)をあらんかぎり撃ち込んでください。決してあなどってはなりません。明日の巳時(午前十時)ごろ戦の用意にかかり、正午ごろ戦になります。十分に腹ごしらえをして、この岩の上にいてください。敵はこの岩から上陸しようとするはずです」
くわしく語り、島の奥へと消えました。

漁師たちは、山から木を切り出し、庵をつくり、箭の先をよくといで、弓の弦を点検し、その夜は火をたいて話をして過ごしました。やがて夜が明け、物を食べて腹ごしらえをするうち、巳時になりました。

「来る」
見ると、風が吹き、海の面がひどく恐ろしげに光っています。波の中に、大きな火が二つ灯っています。
「なんだろう」と思いながら、青年が来た方を見上げると、そちらも山の気色がひどく怖しげになり、草がなびき、木の葉が騒ぎ、ザワザワと音をたててののしり合うようでした。その中にも、二つの火が見えました。

沖の方から、十丈(約30メートル)ほどもある蜈(ムカデ)が泳いできました。左右のわき腹が、赤く光っていました。山の方を見ると、長さが同じほどで、胴回りがひとかかえもありそうな蛇が、舌なめずりをしながら下りてきて、蜈と向き合いました。かぎりなく恐ろしいものでした。

国際日本文化研究センター

さきに(青年の姿で)語ったように、蛇は敵が登ってこられるように、海から距離を置いて鎌首をもたげています。蜈は喜んで走り上がりました。たがいに目をいからせ、しばらく向き合っていました。七人の漁師は、教えられたように岩の上に登り、箭をつがえていました。蛇は立ち上がり蜈は走り寄り、たがいに噛みつき合いました。それは長く続き、両者は血みどろになりました。蜈は足が多く、それを打ちつけながら噛みつくので、常に優勢でした。二時間ばかり経って、蛇はすこし弱ってきたようでした。漁師たちに目くばせをしました。
「疾く射よ」
七人の漁師は、蜈の頭から尾に至るまで、あらんかぎりの箭を射ました。箭がなくなった後は、太刀をもって蜈の足を切りました。蜈はその場に倒れ伏しました。蛇が退いたとき、漁師たちは蜈を切り殺しました。蛇はうなだれて立ち去りました。

しばらく経って、蛇の化身の男が、片足をひきずり、体調を悪くした様子であらわれました。顔も傷つき、あちこちから出血していました。ふたたび食事を運ばせて、漁師たちにふるまいました。とても喜んでいるようでした。蜈の遺体は、切りきざみ、山の木とともに焼きました。その灰や骨は、遠くに棄てました(祟りを恐れている)。

男は漁師たちに言いました。
「私はあなたたちのおかげで、この島を領することができました。とても喜ばしいことです。この島には、田を作ることができる地があり、畠を作ることもできます。多くの実を得ることができる木もたくさんあります。たいへん便のよい島です。この島に来て、住んでいただけませんか」
「とてもありがたいことですが、妻や子をどうしたらよいでしょうか」
「迎えにいってください」
「しかし、渡ることができません」
男は答えました。
「向こうに渡るために、こちらから風を吹かせましょう。向こうからこちらに来るときには、加賀国の熊田宮という社がこちらの分社になっていますから、来たいと思ったときに、その宮に詣でてください。簡単にこちらに来ることができます」
ていねいに教え、道中の食糧などを積ませて船出させました。やがて、島から風が吹いて、時間もかからず渡ることができました。

七人の者たちは、みな自分の家に帰りました。家族はもちろん、島に移り住みたい者を集めて、ひそかに船七艘を調え、作るべき作物の種子などを積み、まずは熊田宮に詣でて事の次第を伝え、船出しました。にわかに風が吹いて、七艘はみな島に渡り着きました。

七人の者たちは、島に住み、田畠を作りました。子孫は繁栄し、人が増えて今にいたります。島の名を猫の島(解説参照)といいます。この島の人は年に一度、加賀国に渡り、熊田宮で祭をおこないます。加賀の人はそれを知っていますが、見たことはないそうです。とつぜん夜中などに渡って来て、祭をして帰っていくので、その跡から「例の祭があったのだ」と知るそうです。祭は年ごとに行われ、今も絶えていません。島は、能登国(石川県北部)の大宮というところでよく見えるといいます。晴れた日に見ると、離れたところに、西側が高くなった青い島が見えるそうです。

むかし、能登国に常光という船乗りがありました。風に流されて、かの島に行き着きました。島の者たちはしばらく岸に船をつながせて、食物などを運びましたが、決して島には上がらせなかったそうです。やがて七、八日ほどすると、島の方から風が吹き、走るように能登国に着きました。その後、船乗りは語ったといいます。
「島には人家が多く、京のように小路があるのがほのかに見えた。人の行き来も多かった」
島の様子を見せないために、近くには寄せなかったのでしょう。

最近でも、はるばるやってきた唐人(外国人)は、先ずその島に寄って、食物を得て、鮑・魚などを収穫してから敦賀の港に入るといいます。唐人も、「こういう島があるとは語るな」と口止めされるそうです。

前生の機縁があったからこそ、七人の者たちは島に移り住むことができたのでしょう。その子孫は今なお島にあります。とても楽しく暮らしやすい島であると語り伝えられています。

【原文】

巻26第9話 加賀国諍蛇蜈島行人助蛇住島語 第九
今昔物語集 巻26第9話 加賀国諍蛇蜈島行人助蛇住島語 第九 今昔、加賀の国□□郡に住ける下衆、七人一党として、常に海に出て、釣を好て業として、年来を経けるに、此の七人、一船に乗て漕出にけり。此の者共、釣しに出れども、皆弓箭・兵仗をなむ具したりける。

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

この話の舞台となっている「猫の島」は石川県輪島市の舳倉島とされている。島には奥津比咩神社があり輪島(本土)の辺津比咩神社と対になっている。辺津比咩神社の祭神は、蛇神である。島は現在、過疎が進行し、小中学校も休校になっているそうだ。やがて無人島になるだろう。悲しいことだ。

舳倉島

大蛇(龍)に加勢して大ムカデを退治する話は、『太平記』における俵藤太(藤原秀郷)の逸話が有名。本話ともなんらかの関連があると考えられる。

藤原秀郷のムカデ退治。中央に龍女。勝川春亭画、1815年頃(アメリカ合衆国議会図書館)

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