巻十四第六話 経の書写を願った二匹の猿の話

巻十四

巻14第6話 越後国乙寺僧為猿写法花語 第六

今は昔、越後の国三島の郡(新潟県長岡市)に、乙寺という寺がありました。その寺にひとりの其の寺に一人の僧が住み、昼夜に法華経を読誦することを仕事とし、ほかのことはしませんでした。

あるとき、同じような二匹の猿が、堂の前にある木に来て、この僧が読誦する法華経を聞きました。朝に来て、夕には帰りました。このようなことが三か月ほど続きました。猿は毎日欠かさずやってきて、経を聞き、同じように去っていきます。僧はこれをあやしく思い、
「おまえたちが来るようになって、数か月になる。いつもこの木に居て、経を読誦するのを聞いている。法華経を読誦したいのか」
猿は僧に向かって頭を振りました。つづけて僧が問いました。
「経を書写したいのか」
猿はうれしそうな顔をしました。
「経を書写したいならば、私がおまえたちのために経を書写してやろう」
猿はこれを聞いて、うれしそうに口を動かし、木から下りて帰りました。

五、六日ほど経ったころ、数百匹の猿が皆、物を背負って持ってきて、僧の前に置きました。木の皮を剥ぎ集め、持って来て置いたのです。僧はこれを見て思いました。
「これをすいて、写経のための紙を作れということか」
不思議に思いましたが、かぎりなく貴いことだと感じました。

紙をすく様子。現在でも和紙などがこの伝統的な工法でつくられている

その木の皮を使って紙にして、吉日を選び定めて、法華経を書きはじめました。はじめたときから、あの二匹の猿は、毎日欠かさずやってきました。あるときには、署預(ヤマノイモ)・野老(トコロ)を掘って持って来ました。あるときには、栗・柿・梨・棗(ナツメ)などの実を拾ってきて、僧に与えました。僧はこれを見て、いよいよ奇異に思いました。

ウチワドコロの若芽

経の五巻を書いたころ、二匹の猿は一両日やってきませんでした。
「なにかあったのだろうか」
寺から近いあたりを出て、山林を廻って探すと、猿は林で多く署預を掘りだして置き、地面の穴に頭をつっこんで二匹とも倒れ、死んでいました。僧はこれを見て、涙を流して泣き悲しみ、猿の屍に向かって法華経を読誦し、念仏を唱へて、後世を祈りました。

その後、僧は、猿が望んだ法華経を書き終えずに、仏の御前の柱を刻み、籠め置きました。(法華経は全八巻)

それから四十余年が経ちました。藤原子高の朝臣という人が、承平四年(924年)、この国の国守として、京から下って来ることになりました。守は国府(新潟県上越市)に着くと、神事も公事もはじめる前に、夫妻で三島の郡に入りました。お供の人も館の人も、
「どういうわけでこの郡に急いで入ったのだろう」と怪しみました。
守は乙寺に参り、住僧を召し出して問いました。
「この寺に書き終えていない法華経があるだろう」
僧たちは驚いて探しましたが、見つかりませんでした。

そのとき、かの経を書いた持経者(僧)は、八十余歳で老耄しながら、未だ生きてありました。出て来て守に申しました。
「昔、若いころ、二匹の猿が来て、こういうことがありました。私に書かせた法華経がございます」
老僧は昔のできごとをすべて語りました。守は大いに喜び、老僧を礼して言いました。
「すみやかにその経を取り出してください。私は、かの経を書き終えるために人界(人間の世界)に生まれ、この国の守に任ぜられたのです。あなたが話した二匹の猿は、今の私たち(守と妻)です。前生に猿の身で、持経者の読誦した法華経を聞いたことで心を発し、『法華経を書写したい』と思い、聖人の力によって法華経を書写してもらったのです。私たちは聖人の弟子です。あなたを貴び敬っています。この国の守に任ぜられたのは、浅い縁ではありません。とてもありがたく思っていますが、ひとえに経を書き終えるためです。願わくは聖人よ、すみやかに経を書き終え、私の願を満たしてください」
老僧はこれを聞いて、雨のように涙を流しました。すぐに経を取り出し、心を一にして書写しました。守はさらに三千部の法華経を書かせ、かの経にそえ、法会をひらき、しきたりにのっとって供養しました。

老僧は経を書いたことによって、浄土に生まれました。二匹の猿は経を聞いたことで願を発し、猿の身を棄てて人界に生まれ、国司に任ぜられました。夫妻ともに共に宿願をとげ、法華経を書写し奉りました。その後、道心を発し、善根を修しました。これはまさに奇跡です。

畜生であっても、深い心を発して、宿願を遂げることができます。世の人はこのことを知り、深く心を発すべきであると語り伝えられています。

【原文】

巻14第6話 越後国乙寺僧為猿写法花語 第六
今昔物語集 巻14第6話 越後国乙寺僧為猿写法花語 第六 今昔、越後の国三島の郡に、乙(きのと)寺と云ふ寺有り。其の寺に一人の僧住して、昼夜に法花経を読誦するを以て役として、他の事無し。

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

『古今著聞集』に同じ話がある。

680 越後国に乙寺といふ寺に法華経持者の僧住みて朝夕誦しけるに二つの猿来たりて・・・
古今著聞集 魚虫禽獣第三十 680 越後国に乙寺といふ寺に法華経持者の僧住みて朝夕誦しけるに二つの猿来たりて・・・ 校訂本文 越後国に乙寺といふ寺に、法華経持者の僧住みて、朝夕誦しけるに、二つの猿来たりて経を聞きけり。二・三日を経て、僧、こころみに猿に問ひて言ふやう、「なんぢ、何のゆゑに常に来たるぞ。もし、経を書...
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