巻14第7話 修行僧至越中立山会小女語 第七
今は昔、越中の国(富山県)に、立山という山がありました。昔から「かの山に地獄あり」と言い伝えられています(地獄谷)。
そこは、はるかに広がった高原です。その谷には、百千の湯が、深い穴の底から涌き出でています。大きな岩でその穴をふさいでも、湯は岩のわきから吹き出て、巨岩を揺るがします。熱気が満ち、近づいて見るととても恐ろしいものです。高原の奥には、大いなる火の柱があり、常に焼け、燃えています。そこには巨大な峰がそびえていて、「帝釈の嶽」(別山)と名づけられています。帝釈天そして冥府の役人が集まり、衆生(人々)の善悪をはかるところと伝えられています。
また、その地獄の原に、高さ十余丈(約30~60メートル。実際よりスケールダウンしているのは、作者が見たことなかったからと考えられる)の大きな滝があります。勝妙の滝(称名滝)と呼ばれていて、白い布を張ったような姿をしています。古来より、日本の人は罪によって、多くこの立山の地獄に堕ちるといわれています。
仏道を修行するためさまざまな寺社や霊地に赴き、難行苦行する三井寺の僧が、立山に詣で、地獄の原を見て廻ることがありました。未だ二十に満たぬほどの若い女があらわれました。僧は女を見て恐ろしく思いました。
「人無き山中に女が出て来るのはおかしい。鬼神ではないだろうか」
逃げようとすると、女は呼び止めました。
「私は鬼神ではありません。怖がらないでください。伝えたいことがあるのです」
僧は立ち止まって聞きました。
「私は、近江の国蒲生の郡(滋賀県東近江市)の者です。父母は今でもその地にあります。父は木仏師(仏の木像を彫る人)です。信仰心を持たず、ただ生業として仏を彫っていました。私は生きていたころ、仏の像の代価をもって衣食としていたのです。そのため、死んでこの地獄に堕ち、堪え難い苦を受けています。どうか慈(あわれ)の心をもって、こう父母に伝えてください。『私のために法華経を書写供養し、苦から救ってください』と。これをお伝えするために、私は出てきたのです」
僧は言いました。
「あなたは地獄に堕ちて苦を受けていると言いました。にもかかわらず、このように自由に抜け出られるのはどうしてですか」
「今日は十八日、観音の縁日です。私は生前、『観音に仕えたい』と考え、『観音経(法華経の一部)を読みたい』と思っていました。そのように思っていても、しようしようと思っているうちに、遂げず死んでしまいました。しかし一度きり、十八日に精進して観音に祈ったことがあったのです。それゆえ、毎月十八日には観音がこの地獄に来てくれて、一日一夜だけ私にかわって苦を受けてくれます。私はその間だけ地獄を出て、休み遊ぶことを許されます。それが私がここにいる理由です」
女はそう言うと、かき消えるようにいなくなりました。
僧はこれを奇異に恐しく思い、立山を出て、事の実否をたしかめるために、近江の国蒲生の郡に行きました。たしかにそこに父母はありました。僧は女の語ったことをもらさず伝えました。父母はこれを聞いて、涙を流して泣き悲しみました。
父母はすぐに娘のために法華経を書写供養しました。その後、父の夢に、娘があらわれました。美しい衣服をまとい、掌を合せています。
「私は観音のお助けによって、立山の地獄を出て、忉利天に生まれました」
父母はかぎりなく喜び悲しみました。
僧もまた同じような夢を見ました。僧はこれを告げようと父母の家に行き夢のことを語ると、父もまったく同じ夢を見ていて異なるところがありませんでした。
僧はこれを貴び、世に語り伝えました。これを聞き継いで語り伝えています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
立山に死後の世界があるとは、仏教伝来以前からの考えらしい(山中他界観)。この話はその思考と仏教の地獄が習合したもの。地獄を想起させる立山の寒々しい風景が活写されている。
今昔物語集にはこの話とほぼ同じ話が収録されている(巻十七第二十七話)。身代わりが地蔵菩薩だったり、女が京出身だったり、細部が異なっている。
コメント