巻26第5話 陸奥国府官大夫介子語 第五
(③より続く)
夜が明けるのも待ち遠しく、翌朝になって児に食事をさせたあと、従者たちを呼び集めて、兄のもとへ行きました。着いてみると、家は静かで、人もほとんどありません。「介殿は」と問うと、「国府でしょう」と答えがかえってきました。
「申しあげたいことがあって参ったのです。児はどこにいますか。それも国府ですか」
継母がこれを聞いて答えました。
「たいへんなことです。その児は、昨日より見えません。あなたのお宅にうかがっているものと思っていましたのに、なんということでしょう。私を驚かそうとしていらっしゃるのではありませんか」
継母はそう言って泣きました。伯父は「性悪女め」と思いましたが、「しばらくは言わずにおこう」と考えました。
「それはおかしいではありませんか。言っていい冗談とそうでないものがあります。久しく会っていないので、児がなんとなく気がかりで参ったのです。これはどうしたことですか」
家の者は「とにかく探しだそう」と大騒ぎになりました。児を埋めた男も出てきて、人よりも泣き騒ぎました。
伯父は「まず、介殿にはやく告げよう」と言って、手紙を書いて人を走らせました。
「申しあげたいことがあって参上したのですが、児の姿が見えず、ただ驚いています。はやく帰ってきてください。言いたいことがあります」
使いは馬に乗って走り、ほどなくして行き着きました。息も絶え絶えに言いました。
「若君がおられません」
介はこれを聞くとすぐに立ち上がりましたが、年老いているため、力を失い倒れかかり、ほとんど気を失いそうになってしまいました。本来ならば上(国司)に報告しなければならないのですが、それもできず、ただ目代に「こういうことがあったので」とだけ言い残して出てきました。途中、馬から転落しそうでしたが、従者たちが抱きかかえ、なんとか屋敷に帰り着きました。
「いったいどういうことか」と問うと、継母は倒れ込み言いました。
「あなたは年老いておられるので、あまり長い時間は児とともにいられないでしょう。私は、あなたには遅れることになります。児は、本当にこの世の財(宝)と思っていました。どうして消えてしまったのでしょうか。児を敵(かたき)と考えて、殺そうとする人があったのでしょうか。とてもかわいらしい児でしたので、京に上る人などが『法師の稚児(男色の相手)にしよう』などと考えて誘拐したのでしょうか。ああ、なんて悲しいことでしょう」
言い続けて、かぎりなく声をあげて泣き叫びます。父の介は、泣くこともできず、ただ深い嘆息をつき、座り込んでいました。
伯父は、「本当は生きているのだ。かわいそうに」とは思いましたが、継母が企てた事件を思い出して、とても憎く思いました。素知らぬ顔で言いました。
「今さら、どうしようもありません。こうなる運命(因縁)だったのかもしれません。私の家においでください。なぐさめられることもあるでしょう」
そう誘うと、介が言いました。
「児がいなくなった要因を調べ、生死をたしかめてから、僧になる。今まで長く生きてきて、なぜこんな目にあうのか」
声をあげて泣きました。当然のことです。
なんとか介を連れ出しました。郎等(家来)はある限りともないました。その中に、児を埋めた男もいました。この男だけはなんとしても連れていこうと思っていましたが、自分からやってきました。「しめた」と考え、気取られないように目を付けて行くと、やがて屋敷に着きました。
臥して泣く介をなだめつつ、弟は「中に入ってください」と誘いました。さらに、腹心の郎等一人を呼び、埋めた男を見張らせました。
「二、三人で心を合わせて見張れ。私が『とらえよ』と言ったら、すぐにとらえよ」
介を中に案内し、児のいる部屋につれていって対面させました。介は「児を隠して私を惑わせようとしている」と心得て、烈火のごとく怒りました。
「戯れもたいがいにしてくれ。こんなことをして私を惑わせるとは」
「いえ、落ち着いてください。こんなことがあったのです」
弟が泣く泣く語ると、介はどうしてよいかわからず、児にたずねました。児はあったことをすべて話しました。
介は驚きあきれ、「その男を逃がしてはいないだろうな」と言いました。弟は「人をつけてあります」と答え、男をとらえさせました。男は「これはどういうことだ」と言いつつ、「悲しいことだが、こうなると思っていた」と言いました。
介は太刀を抜き、男の頸を切ろうとしましたが、弟が引き止めました。
「事件のありようを問いただしてから、好きなようになさいませ」
男をいったんは解放して問いつめると、しばらくは言いませんでしたが、責め問うと、すべてをありのままに白状しました。
「継母の心はとんでもない」
介は人をやって、自分の屋敷をかためさせました。すでに多くの人の知るところとなっており、従者たちもこれまでは継母を「上」といって仕えてきましたが、今となっては口々に非難しています。
継母は平然として、「これはどういうことなのか。思いがけぬことだ。児がいなくなったことが、私のせいだと言うのか」と言いました。「児を殺そうとしたのだから、もはや逃れられない」と思ったせいでしょう。
介は弟の屋敷に四、五日滞在して、児の健康を祈祷させて、そのうえで帰ろうとしました。
「継母が家にいたならば、口裏をあわせようとするかもしれない」
弟を先にやり、継母を追い出させ、(埋めた男の妻となった)乳母の女をとらえ、継母の娘も裸足で追放して、継母の関わりの者は一人残らず追い出したうえで、児をともなって屋敷に帰りました。
この話を知る者は、継母をにくみ、助けようとはしなかったので、母も娘も落ちぶれて、迷うことになりました。
「児を埋めた男の頸をとる。妻は口を割く」
介はそう言いましたが、弟は「それは児のために益になりません」と言って制して、ただ追放するのみとしました(逆恨みの可能性を考えた)。
児が埋められた際、菜・草・榑を入れたのに、児が生くるべき報があったためでしょう、それが児にとどかず、穴は塞いだものの透間ができて、息をすることができて生き延びたのです。これもまた、前世の報です。
児は成長して元服しました。親や伯父が亡くなった後は、二人の財を相続して、これも大夫の介と呼ばれ、財産も権勢もある者となりました。その大夫の介を見た人が語りました。
継母の心はたいへんに愚かです。わが子のように思って養育していたならば、きっと孝養されていたことでしょう。現世はもちろん、後世さえもだいなしにしてしまったのだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
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