巻10第33話 立生贄国王止此平国語 第卅三
今は昔、震旦の周の時代に□という男がありました。また、震旦の北方には□という広大な国がありました。
この人がその国の王となり、さっそく国へと向かいました。国境を越えるとすぐ、王はその国の住人を呼び、「この国には年内に何か変わったことはあったのか。また、なぜ国土が広いのに民は少なく、地も荒れ果てているのか」と訊きました。住人は答えました。「この国では、昔より今に至るまで、毎年必ず極めて大きな事が起こります。このために人も少なく、空家が多いのです」
王は尋ねました。「それはどのような事か」
住人は言いました。「この国にはいにしえより、とても強大な神がおられます。そのため、毎年祭礼の儀が行われます。その時に、家柄良く、富裕な人の家から、年頃が15、6歳ばかりの美しい、未婚の娘を一人選び、その日から次の年の祭礼の儀まで、食を慎み身を清め、注連縄(しめなわ)をいただき、精進した上で、美しく飾り立てて神宝とともに輿に乗せて大海の辺りまで連れて行き、舟に乗せて海に流すと、すぐにこの舟は沈んでしまいます。つまり、その娘を神の側妻として奉じるのです。そのため、そのような娘のある親は、その辛さ故に国を出て行ってしまいます。また、娘の精進が足りなければ、その家は滅んでしまいますし、国中に洪水が起きて人も里も流されてしまうのです。そのため、この国には民が定住することが難しいのです」それを聞いた王は「それならばよくよく身を清め、精進させて祭礼の儀を執り行わねばならん」と仰せになり、それを聞いて住人はますます恐れおののきました。
その後月日がたち、翌年の祭礼の儀の日となりました。その時王は「その儀に私も参ろう」と言いましたので、国内が大騒ぎになり、娘の乗る輿に錦の幕を張り巡らし、玉の荘厳具で飾り立てました。王が立ち会う初の行事でありましたから、荘厳美麗なこと限りがありません。諸々の役人は欠ける者なく供として付き従い、国中の人々が詰めかけて、この様子を見ていました。
王がご覧になると、玉の輿に色とりどりの錦を張り巡らし、諸々の財を尽くして飾り立ててあります。多くの人がその前後を取り囲んで立っています。近くには覡巫(かむらぎ)たちが馬に乗って従い、幡を持つ者、鉾を捧げ持つ者もありました。また、絹の傘を差し掛ける者や榊(さかき、酒)を持つ者など、数しれぬほど多勢の者がいます。その後方に、娘の父母や親族が多勢集って車に乗り、泣きながら見送りに来ていました。王はこれをご覧になり、「あの父母の悲しみ思う心はどれほどのものであろうか」と思いますと、気の毒でいたわしく、心の臓がつぶれるような思いをなさいました。
その時王は言いました。「その輿をしばらく留めよ。私がこの国の王となり、このしきたりを知ってから初めて奉ずる生贄であれば、この目で確認してから奉らなければならん」
輿をとめ、覡巫たちはみな、馬から下りてうやうやしく輿にかしずきました。そこで王が輿に近付き、御簾をかき上げて中を見ますと、錦の御帳の内側に金の椅子を置き、その上に15、6歳ばかりの端正な女人が髪を結い上げ、玉飾りで飾り立て、玉の扇で顔を隠して座っていました。そしてひたすら泣きぬれていたのです。
王はこれを目にすると、自分も悲しみの涙がこぼれそうになるのを押し留め、言いました。
「しばらく待て。この女人はおそろしく異様な者だ。これは王たる私を侮っていることに他ならぬ。『即位後初の祭礼の義を滞りなく勤めねばならん』と思って私自らが参っているのであるぞ。私より以前の者たちは、いつも祭礼の儀にこのような者どもを奉じていたのか。このように奇怪な者を選んで奉るのであらば、国も亡び、神もお怒りになって当然である。この者は、我ら人にさえ近づけ仕えさせるべき者ではない。急ぎ生贄を差替えて奉ずるのだ」これを聞いた人々は、震え上がり、恐れました。
その時、王は一人の覡巫を召して「御神はいずこにおわすか」と問いました。覡巫は「海の底におわします。されど祭礼の儀には、この辺りまで近づきあそばして、生贄の娘を受け取られます。その時には突風が吹き、浪がざわめき立ち、海面はとても恐ろしい様子になります。そうなれば、御神が生贄の娘をお取りになったとわかるのです。そうでなければ、御神は娘をお取りにならなかったと知れるのです」と答えました。王は「なるほど、相わかった。しかし、今日はこの祭礼の儀を一旦取りやめ、このことを御神に申し上げて、日を繰り延べて良き日を改めて定め、生贄を差替えて奉ろうと思う。ついては、その由を速やかに御神に申し上げよ」と命じました。覡巫は「どのようにして御神に申し上げれば良いのでしょうか」と申しました。すると王は、「おまえたちは、年来御神に仕えて『御神が仰せらるることには』などと申していたではないか。どうして御神のおわすところを知らないということがあろうか」と言いました。
その間にも海はどんどん荒れて浪が高くなってきました。王は「海が荒れてきたぞ。御神がこちらへ着いてしまわれる前に、急ぎ御神のところへ参り、このことを申し上げてくるのだ」と命じて一人の巫女を破船(難破船)に乗せて海に流しました。見ていると、その船はしばらく漂ったかと思ううちに、巫女は海の中に落ちてしまいました。
その後、王は言いました。「今頃はもう御神のおわすところに着いている頃ではなかろうか。しかし帰りが遅いのではないか」そしてまた、次の巫女を召して言いました。「日が高くなってきた。どうしてこんなに帰りが遅いのか。おまえも行って、重ねて申しあげよ」そして巫女の頸(くび)を突いて海に突き落としました。その巫女も沈んだまま姿が見えなくなりました。「おかしなことだ」と言いながら、王は次々に巫女や覡巫を一人残らず海に突き落としました。
それから、「御神の御言葉があり次第、相応しい女を探し、祭礼の儀を執り行わねばならん」と言って、王は生贄の娘を連れ帰って自らの妻としました。国の人々はこれを見て大層恐れおののきました。
王は国中に溜池を掘らせ、「これらの池に水を湛え(ためて)、旱(旱魃、かんばつ)のときにはこの水を使って田を作れ。また、大雨のときには溝を掘って、水を流せ」と定めました。
生贄の娘の父母や親族はこの上なく喜びました。娘は后となって、この上なく大切にされました。
これ以降、風雨は季節に応じて国土を潤し、国内の政は王の心にかなって円滑に行われ、民は平穏な暮らしを得て国は栄え、国中の誰もが、恐れることは何もなくなりました。
そしてその国には覡巫も巫女もいなくなったと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 草野真一
人身御供の悪習を断った話。
『史記』にある話だが、「北方の国」と場所を特定していないこと、本来は川の神であるところを海の神にしてあることなど、いくつか改変が見られる。そのまま『史記』にしたがったら海沿いに住んでる登場人物なんかひとりも出てこないわけで、日本人向けの改変だ。









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