巻10第5話 漢元帝后王照君行胡国語 第五
今は昔、震旦の漢の元帝の代(前49年~前33年)のこと、皇帝は大臣や公卿の娘から、見目麗しく、なんとも言えず雅やかな趣の女性を選んでは召し抱え、宮の内に居住させて寵愛なさっていました。しかしその人数がどんどん増えて、500人余りにもなってしまったので、宮に入ったとしても必ず寵愛を受けられるという訳にはいかなくなっていました。
さて、ある時辺境の胡国の者たちが都にやって来ました。未開の地の者のようなむさ苦しい様子です。皇帝を始めとして、大臣や百官、皆がこの者たちをどのように遇するか頭を悩ませ、何度も話し合いましたが、良い案を思い付けずにいました。しかし、一人の賢い大臣が妙案を得て、このように進言しました。「このような辺境の者どもが都にやってくるなど、国のためには非常に良からぬことです。されば、この者どもを何とかもとの国へ返らせなければなりません。そこで、宮中にむやみに大勢いる女たちのうちで、見目形の劣る者を一人、彼らにお与えになるのが良いでしょう。さすれば彼らもきっと喜んで返ることでしょう。これ以上の策はありますまい」
皇帝はこれをお聞きになって、「なるほど」と思し召され、ご自身で女たちを見定めようとなさいましたが、あまりにも女が大勢いるのでほとほと困ってしまいました。そこで、「大勢の絵師を召してこの女人たちを見せ、見目形を描かせてそれを見て、姿の劣っている者を胡国の者に下賜しよう」と思い付かれました。そして早速絵師たちを召してこれらの女人たちに会わせ、「彼女らの姿形を絵に描いて持って参れ」と仰せになりました。絵師たちが描き始めると、女人たちは未開の人に遥か遠い国へと連れて行かれるかもしれないと嘆き悲しみ、我も我もと絵師たちに金銀財宝や、その他諸々の宝を与えましたので、絵師たちはそれに目が眩んで、大して美しくない女人でも見目良く描くようになりました。
さて、この女人たちの中に、王照君という人がいました。この人は他の女人たちと比べても非常に美麗でしたので、そのことを頼みにして、絵師たちに何も与えませんでした。すると、絵師は彼女を本来の姿のようにも描かず、非常に卑しい風情に描いて持って参りました。そのために、「この女人を与えるべし」と定められてしまいました。
ところが、皇帝が怪しくお思いになって、彼女を召し出してみますと、王照君は光を放つがごとき美しさで、まことに雅やかで艶やかでした。まるで光り輝く珠のようです。これに比べると他の女人たちは土塊のようでした。皇帝はびっくりなさって、彼女を胡国の未開人たちに与えなければならないことをお嘆きになりましたが、日も経ち、胡国の者たちはどこからか「王照君をもらえるそうな」と聞き及んで、宮にまでやって来てくれくれとうるさく催促するものですから、改めて別の女人を定めることも出来ず、ついには王照君をお与えになったのです。胡国の者たちは王照君を馬に乗せると、胡国へと連れて行くことになりました。
王照君は泣き悲しみましたが、その甲斐はありませんでした。また、皇帝も王照君のことを恋い悲しく想うあまり、かつて王照君が住まっていたところを訪ねてご覧になると、春の柳は風に靡き、うぐいすが折々に鳴き、秋には落ち葉が庭に積もって、檐(のき)の空く暇もなく、物寂しい様子は言葉にできないほどでしたので、余計に王照君を恋い悲しみました。
胡国の者たちは王照君を賜ってたいそう喜び、琵琶を弾いたり、その他の楽をあつらえたりしながら彼女を連れていきました。王照君は泣き悲しみながらも、その楽の音に少しばかり心慰められる気がしました。
胡国に到着すると、后としてこの上ないほど恭しくかしづかれましたが、王照君の心が晴れることはありませんでした。
「これは、自分の美貌を頼みにするあまり、絵師に財をあたえなかったからだ」と、その時代の人々は非難したと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 草野真一
胡とは匈奴や鮮卑など北方遊牧民族の総称である。この話では未開(夷)と語られているが、漢からの差別的な視座の影響だ。なかでも匈奴は漢の重要な外交国であったので、「醜い女を差し出す」などということが現実にあったとは考えにくい。
のちに漢が滅亡し五胡十六国の時代になると、中国大陸は幾多の小国によって分割統治されることになる。胡はその一角を占め、漢人を使役することも多かった。この話は「胡に使われた漢人」の創作ではないかと考えられている。











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