巻十第一話 始皇帝の死と秦の滅亡(始皇帝と秦②)

第十

より続く)

巻10第1話 秦始皇在咸陽宮政世語 第一

始皇帝は喜んで帰りましたが、天の責めをこうむったのでしょうか。途中、重い病を受けました。始皇帝は二世(胡亥)と大臣の趙高という人を呼び寄せて、ひそかに語りました。

「私は重病にかかった。必ず死ぬだろう。私が死んだとなれば、大臣・百官は、王城に戻ろうとする者はいなくなる。私をここで棄てて去っていく。だから、私が死んでも、『ここで死んだ』と知らせてはならない。車の内にあるようにして王城に戻り、それから葬を開くのだ。私は行幸の途上で大臣・百官が離れ去るのを恥じる。ゆめゆめこれを破ってはならない」
始皇帝はそう言い終わると、すぐに亡くなりました。
二人は帝が生きているかのようにふるまいました。人々に命を伝えたいときは、勅命があったようにふるまって、宣下しました。

季節は夏でした。帝の死から時間がたって、車の中がとても臭くなりました。二世と趙高は議して対策を考えました。方魚(鮑魚、ひもの)をたくさん集めて、車に積み、行列の前後に配し、前後の車にも置きました。方魚は他の魚と比べものにならないほど臭いため、車の内の臭い香りは、方魚の匂いにまぎれました。人は始皇帝の死を知りませんでした。

変わったことですが、このようなことは始皇帝が生きているときにも常のことでした。人はこれを怪しみませんでした。王城に着いていばらくして、葬儀が開かれました。人々はこのときはじめて皇帝が亡くなったことを知ったのです。

秦始皇帝陵 近くに兵馬俑坑

その後、二世が皇位につきました。大臣趙高と二人で政治を行いました。
二世は思いました。
「我が父・始皇帝は、国内のことをほしいままにして、諸のことを好き勝手におこなっていた。私もまた、父のようにしたい」
政治をおこなううち、二世は大臣趙高と袂を分かちました。
趙高は思いました。
「この王は始皇帝の子ではあるが、位について未だ時間がたってない。にもかかわらずこの状態だ。いわんや、位について時を経たなら、私にとってよいことはない」
趙高は謀叛の心を起こしました。

しかし、趙高は世の人の心を知らず、自信がありませんでした。「人の心を試みたい」と思い、鹿一頭を王の御前に引き出して、「こういう馬があります」と申し上げました。
王はこれを見て言いました。
「これは鹿という獣である。馬ではない」
「これは、まさしく馬であります。世の人にたずねてみましょう」
これを見る人が答えました。
「これは鹿ではありません。馬です」
趙高は思いました。
「世の人は私の方に寄っている。謀叛を起こすことをためらってはならない」
ひそかに多くの軍を調えて、敵の隙を伺い弱点を見きわめて王宮に入り、国王を攻めようとしました。(馬鹿という言葉の由来とされる)

国王はこれを聞いて思いました。
「私は王ではあるが、位についてから未だ日が浅く、兵力もすくない。趙高は臣ではあるが、長く政治をおこなってきた者であり、強大な兵力を持っている。私は逃げることにしよう」
ひそかに城を出て、望夷宮というところに籠りました。

趙高は多くの軍を率いて望夷宮を囲みました。国王も軍を率いていましたが、軍の規模が大きく劣っているので、防ぐことができません。大臣の軍はさらに強く攻めました。国王はなすべき術もなく言いました。
「大臣よ、私を生かせ。今後、私はあなたをおろそかにすることはない。私は国王ではなく、あなたの臣下になり、あなたに仕えよう」
しかし趙高はこれを許さず、さらに強く攻めました。

国王はさらに言いました。
「ならば、私を小国の王として、遠くの国に追いやれ。命を助けてくれ」
趙高は許しませんでした。
「ならば、私を王でも臣でもない普通の人として棄てよ。私は地位ある人間ではない。命を助けてくれ」

このように重々に助けを請いましたが、大臣は攻める手を休めることはせず、ついに二世を討ちました。そこで趙高は軍を引き、王城に帰りました。

その後、始皇帝の孫・子嬰という人が位につきました。子嬰は思いました。
「位につき国を治めることは喜ばしいことだが、私の伯父の二世は、王であったが趙高に殺され、王でいることはできなかった。私もまた、そうなるにちがいない。少しでも心が違ったなら、臣に殺されてしまうだろう」
子嬰はひそかに謀をなし、趙高を殺しました。

その後、恐れるものなく国政にとりかかろうとしましたが、子嬰は孤独で、仲間になる人もすくなかったため、項羽によって討たれることになりました。軍は咸陽を破り、始皇帝の宮室(阿房宮)を焼きました。その火は三か月消えず燃え続けました。

擬阿房宮図軸 (袁耀 清朝)

子嬰が位にあったのはわずか四十六日でした。このとき、秦の時代が終わったと語り伝えられています。

【原文】

巻10第1話 秦始皇在咸陽宮政世語 第一
今昔物語集 巻10第1話 秦始皇在咸陽宮政世語 第一 今昔、震旦の秦の世に、始皇と云ふ国王在けり。智(さと)り賢く、心武くして、世を政(まつりごち)ければ、国の内に随はぬ者無し。少しも我が心に違ふ者有らば、其の頸を取り、足手を切る。然れば、皆人、風に靡く草の如き也。

【翻訳】 草野真一

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巻6第1話 震旦秦始皇時天竺僧渡語 第一今は昔、震旦の秦の始皇帝の時代に、天竺から僧が渡ってきました。名を「釈の利房」といいます。十八人の賢者をつれて、法文と聖教をもたらしました。皇帝は問いました。「おまえたちは何者か。どこの国から来...
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