巻16第1話 僧行善依観音助従震旦帰来語 第一
今は昔、推古天皇の御代に行善という僧がありました。俗姓は堅部氏、仏法を習い伝えるために高麗国(高句麗)に派遣されました。
行善が高麗国に入ったときは、他国に敗れるときでした。国の民はみな王城(平壌)に籠って、それ以外の場所にはありませんでした。行善があわてて逃げて行くと、大きな河がありました。川辺から渡ろうと試みてみましたが、川が深いため、歩いて渡ることはできません。船で渡ろうと考えて船を探しましたが、船はみな隠してあったので見つかりません。橋もかかっていましたが、みな壊れていましたので、渡ることができませんでした。そのうち誰かが追ってくるのではないかと不安で、ものを思うこともべきませんでした。
行善はなすすべもなく、壊れた橋の上でひたすら観音を念じていました。たちまち老翁がが、河の中から船に乗ってきました。
「すぐにこの船に乗って渡りなさい」
行善は喜んで船に乗り渡りました。
陸に着いてみると、翁も船もなくなっていました。
行善は「これは観音が助けてくださったのだ」と思い、礼拝して願をたてました。
「私は観音の像をつくり、恭敬供養します」
王城の方に行き、しばらく隠れているうちに、戦は静まりました。
「この国にいても、益はないだろう」
そこから唐に渡りました。
師について法を学びました。また、願を発した観音の像をつくり、供養して、日夜にかぎりなく恭敬しました。
唐の皇帝は行善を召して、高麗で河を渡ったときのことを問い、行善に帰依しました。また、行善を「河辺の法師」と名づけました。観音が翁となり河を渡したことから、こう呼ばれたのでしょう。
養老二年(718年)、遣唐使が帰朝するとき、日本に帰国しました。
行善は高麗で戦乱にあい、河を渡れずにいたとき、老翁が船で渡してくれたことをつぶさに語りました。人々はこれを聞いてかぎりなく貴びました。観音の像も海をわたり、興福寺に住し、恭敬供養されました。
老師行善とも呼ばれたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
コメント