巻九第三十一話 生きながら冥府につとめた男の話

巻九

巻9第31話 震旦柳智感至冥途帰来語 第卅一

今は昔、震旦の河東に、柳智感という人がありました。貞観(627 – 649)のはじめのころ、長挙県の県令(県の長官、県知事)となりました。その後、とつぜん死にました。

翌日、智感は生き返り、語りました。

「私は冥官(冥府の役人)に追われ、大官府(官庁)に至った。官は私を引っぱって、王の前に連れていった。王は言った。
『今、冥府には役人が一人欠けている。そのため、おまえを召した。欠員が出たところに任じようと思う』
『私には老いた親があります。また、私は善根を積んでいますから、未だ死ぬはずがありません。なぜ今、死ななければならないのですか』
『たしかに、おまえの言うとおりだ。まだ死のときではない。今は死なない。しかし、この官府に来たのだ。書記として、裁判に加わってくれないか』
私はこの命に随い、仕事を引き受けた。

すると、役人が私をある曹(つかさ、役所)に追い立てた。曹には五人の裁判官がいた。私を加えて六人なった。建物は細長かった。それが三部屋にしきられ、各部屋に仕事が割り当てられているようだった。裁判官はとても忙しそうにしていた。

いちばん西の座席が空いていた。役人は私を引いて、その座につかせた。郡吏(別の役人)が、文書と帳簿を持ってきて、私に与えた。机の上にのせ、退き、階下に立った。そこで何をしているのかと問うと、気分を害したようで、早く仕事をしろという。私は文書の内容をもって答えた。文書は読み込んでみると、人間のものと変わらなかった。

この職場の人のために酒食がふるまわれた。多くの判官がやってきて、これを食べた。私も席についたが、裁判官たちが言った。
『君は権官(仮の役人)だ。これを食べてはならない』
私はこの言にしたがって食べなかった。
(冥府の食事は食べてはならないという信仰があったとされる)

日が暮れると、役人が送ってくれた。帰宅させようとしてくれたのだ。そこで生き返った」

その後、日暮れになると、役人が智感を迎えに来るようになりました。夜が明けると、家に帰らせます。それが毎日でした。夜は冥途につとめ、昼は県職につくのを常の事としていました。そうするうち、一年余が過ぎました。

ある日、智感が冥途にいるとき、厠に行くと、堂の西の方にひとりの女人が立っていました。年は四十歳ほど、すがたの端正な、美麗な人でした。衣服はあざやかで、身分の高い人だと思われました。彼女は泣いていました。智感は問いました。
「あなたはだれですか」
「私は豫州の司倉参軍の妻です。捕らえられてここに来ました。夫と子に別れてきたことが、悲しくて仕方ないのです」

智感はこれを官吏(役人)に問いました。官吏は答えました。
「官案(書類)に記してあり、召して問うべきことがあったので、捕えて連れてきた。夫のことを調べるためだ」

智感はこれを聞いて、女人に問いました。
「あなたは私を知らないですか。私は長挙県の県令です。冥府では、あなたに問いたいことがあって、あなたを召したといいます。あなたの夫について調べるためです。夫をこちら(冥界)に呼ぶようなことはないようにしなさい。夫の司倉といっしょに死んでも、あなたにとっていいことはありません」
「決して夫をこちらには呼びません。しかし、冥界の役人に責められることが恐ろしいのです」
「夫を呼ぶことがなければ、責められることはありません」
女人はうなづきました。

その後、智感は、現世にもどり、司倉をたずねて妻について問いました。
「奥さんは病にかかっていませんか」
司倉は答えました。
「私の妻はまだ年若いですから、病や患いの心配はありません」
智感はあの世であったことを話しました。妻の着ていた衣服、すがた・ありさまを語りました。また、司倉に善根を積むことを勧めました。

司倉はこれを聞いて、急ぎ家に帰りました。妻は機(はた)を織っていました。死ぬようには見えませんでした。司倉は、智感の言うことを信じませんでした。しかし十余日後、司倉の妻はとつぜん病を受け、死んだのです。そのとき、司倉ははじめて恐怖し、善根を修しはじめました。

喜多川歌麿 「婦人手業操鏡 機織り」

あるとき、豫州の役人二人が任期を終え、都に帰ることになりました。二人は智感に問いました。
「君は冥途の裁判官判官として、冥途に通じているだろう。私たちが都(長安)で、どんな役職に任ぜられるかわかるか」

智感は冥曹(冥府の役所)で、二人の姓名をあげ、少録事(副書記官)に聞きました。少録事は言いました。
「その名と記録簿は封をして石の函(はこ)の中に置いてあります。二、三日もらえば、答えられるでしょう」
そのころになると少録事がやってきました。少録事は二人の今年の役職をつぶさに語りました。

智感はこれを聞くとこの世に戻り、告げました。二人が都にいくと、吏部の役人が二人の役職を記しましたが、それは智感が告げたものではありませんでした。智感はふたたび少録事にたずねました。少録事はまた記録簿を調べて言いました。
「さきに答えたとおりだ。誤りはない」

書類は門下省にとどきました。省でこれを審判することになりました。役人がゆっくり調べると、誤りがありました。少録事が語ったとおりだったのです。これを聞いた者はみな、感嘆して心服しました。

智感は常に冥界の記録簿を見て、親戚や知人の状況や亡くなる日月を調べ、彼らに告げて善根を修するようにすすめ、多くの人が運命から免がれるようにしました。

やがて、智感が冥途に来て権判(裁判官の補佐)をつとめて三年が経っていました。あるとき、部吏(人事部の役人)が来て告げました。
「このたび、隆州の李司戸(りしど)を君の代わりに判事に任命することになった。今後、君が裁判官をすることはないだろう」

智感は国に帰ると、このことを李徳鳳(りとくほう)刺史(長官)に告げました。刺史は隆州に人を派遣して李司戸についてたずねました。かれは既に死んでいました。その死んだ日を尋ねると、吏部が来て智感に人事を告げたときとまったく同じでした。

以降、智感が冥途に行くことはなくなりました。
あるとき、刺史は智感に囚人を監視させ、都に送らせました。そのとき、鳳州の境で四人の囚人が逃亡しました。智感を恐れ、おじけづいたためです。捕えようと追いかけましたが、数日間つかまえることはできませんでした。

ある夜、伝舎(旅館)に泊まっているとき、とつぜん冥途の部吏があらわれて言いました。
「あなたは囚人をつかまえられます。一人は死んでしまいますが、残りの三人は南の山の西の谷で捕らえられます」
智感は四人の囚人を見つけることができました。そのうちのひとりが、「もはや罪を逃れることはできない」と考え、抵抗しました。智感はこれを討ち、一人を殺しました。部吏が告げたとおりだったのです。

智感は今なお任にあり、慈州の司戸をつとめています。光禄卿の柳亨がこれを伝えました。柳亨は卭州の刺史として智感に出会い、直接、この話を聞きました。御史の裴同節は言いました。「数人に聞いたが、みな同じ話をしていた」
そう語り伝えられています。

喜多川歌麿「女織蚕手業草」

【原文】

巻9第31話 震旦柳智感至冥途帰来語 第卅一
今昔物語集 巻9第31話 震旦柳智感至冥途帰来語 第卅一 今昔、震旦の河東に、柳の智感と云ふ人有けり。貞観の初の比、長挙県の令と成る。而る間、智感、暴(にはか)に死ぬ。 明る日、活(いきかへり)て、自ら語て云く、

【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

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