巻9第6話 震旦張敷見死母扇恋悲母語 第六
今は昔、震旦(中国)に、張敷(ちょうふ)という女人がありました。一歳のとき母をなくしました。
やがて張敷は成長し、十歳のころ家の人(使用人)に問いました。
「人はみな、母があります。なぜ私には母がないのですか」
「知らないのですか。あなたの母は、あなたが一歳のとき、死んだのです」
張敷はこれを聞いて、涙を流して悲しみました。
「母に会えないとは、なんて悲しいことでしょう。母が存命の折、遺してくれたものはありませんか」
家の人は答えました。
「絵を描いた扇があります。あなたのお母さんが存命のとき、『娘が成長したら与えてください』と言い残し、しまっていたものです」
扇を取り出して与えました。張敷はこれを見ていよいよ泣き悲しみ、亡き母をかぎりなく恋いました。
それからというもの、張敷は毎日扇を取り出して見ては涙を流し、恋い悲しみ、その後は玉の箱の中に納めました。
張敷は母のすがたを知らず、愛された記憶もありませんでしたが、母があることを知って、心から強く慕っていました。そのすがたを見ていても、声を聞いていても、年月を経れば忘れてしまうのが世の習いです。しかし、張敷は常に扇を見て、母を忘れることなく、一生のあいだ恋いました。
これを聞いた人は、感激し張敷を讃めたたえたと語り伝えられています。
【原文】
巻9第6話 震旦張敷見死母扇恋悲母語 第六
今昔物語集 巻9第6話 震旦張敷見死母扇恋悲母語 第六 今昔、震旦の□□張敷と云ふ女人有けり。生れて一歳の時、其の母死にけり。 其の後、張敷、長大して、既に十歳に至る時、張敷、家の人に問て云く、「人は皆母有り。何ぞ、我れ独り母無ぞ」と。家の人、答て云く、「君、知り給はずや。君の母は、君生れて一歳の時に、早く死給に...
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】草野真一
張敷という人物は実在するが、男性である。扇を見て母を恋うすがたから女性と誤ったとされる。この話は女の人が主人公のほうがしっくりきますよね。不可抗力だろうがよい改変。
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