巻10第31話 二国互挑合戦語 第卅一
今は昔、震旦に二つの国がありました。一方を□といい、もう一方を□といいました。
この二つの国は常に険悪な仲で、互いに攻撃し合うことは数限りがありませんでした。どちらも、「今度こそは相手に打ち勝ってみせよう」とするのですが、国力や軍の員数なども同じようなものだったため、勝敗がつかないまま何年も経つうちに、片方の国の国王が亡くなってしまいました。この王には皇子がありましたが、まだ年も幼く、敵国から攻められれば持ちこたえることは出来まいと思われました。
国内の兵たちは、思いました。「我らはこのままこの国にいて、いたずらに命を落とすくらいなら、敵国に投降する方がよほどましだろう。国王存命の時であったからこそ、そのご威光に護られ、隣国に破られずにいられたのだ。太子がいらっしゃるとは言え、まだ幼く、ものの道理もお分かりではない。敵国に従わなければ我らは必ずや殺されるに違いない。ならば攻め込まれてから投降するよりも、自ら進んで投降した方が良い。後からしぶしぶ行くよりは、今、少しでも早くこの国を出て敵国につくことで、少しはお褒めをいただけるやもしれん」
そして「誰よりも早く」「こちらも負けぬぞ」と多くの人が我先にと敵国へ投降してしまいましたので、国内に人がいなくなってしまいました。たまたま残った戦うのに適う者も、強い心を持つ人はありません。「敵国の国王が攻めてきたならば投降して従おう」という空気が国中に満ち溢れていました。
敵国の国王はこの様子を聞いて言いました。
「こちらからあの国へ攻め込むよりは、その太子を召すため使いを出そう。よもや逃げ去ることなど出来まい」
使いの者を派遣しました。
「そちらの国に太子があると聞く。速やかに我が国へ参り、投降せよ。そうすればそのまま国を太子に預けて治めさせても良い。投降しないのであればその頸(首)を掻き斬ってくれよう」
国に残っていた人はこれを聞いて恐れおののきました。大臣・公卿は太子に申しました。
「我が君よ、『国を治めよう』となさるのであれば、先ずはお命を保たねばなりません。命をなくしてしまえば、国王の地位も何の役にも立ちません。また、『国の王子としてあろう』と思われても、この国はもはや骨組みしかありません。たとえ今この国に千の兵があったとしても、敵国の一人の兵にも及びますまい。敵国の王は俎(まな板)を用意しています。我々は今にも魚としてその上に乗せられようとしています。抵抗する術はありません。ですから、速やかに敵国へ参られ、投降して命を長らえ国を預けていただければ、この国をなんとか維持することが出来ましょう」
この勧めに対して、太子は仰いました。
「人とは恥を知るものだ。今生き長らえたとしても、永遠に死なずに済む者などいない。孔子は賢人であったが死んだ。盗跖(とうせき)は勇猛であったが死んだ。死ぬということは、人としてどうしても逃れられない道なのだ。私が今生き長らえたとて、祖先の墓を踏み荒らさせるなら、何のために生きるのだ。だから、私は従わずに殺される日を待ち、国位を棄てよう」
太子には「従おう」という気持ちは全くありませんでした。

大臣・公卿はこれを聞いて、ある者は「我が太子は年を数えればようやく襁(むつき、おしめ)を外したばかりのようなものだが、その心は大国の王をも超えるものだ。我らは年来国にお仕え申し上げ、『懸命に励み、怠けることはない』と思ってはいたれども、今日のこの幼い君に敵いはしない。将来が遥かに広がっているはずの我が君が、この如く命を惜しまれずにいらっしゃるのに、我らが命を惜しんでどうするというのだ」と思うものもありましたし、また恐れおののいて、慌てふためくものもありました。
それから、太子は敵国の使いを召し出して、家臣に頸(首)斬りの釼(剣)を持たせ、使者に仰せになりました。
「ここでそなたの頸を斬るべきところではあるが、そなたが死んでしまえば、そのことをかの国の王に知らせる者はない。であるから、そなたは生きてこれを見よ」
草で人形を作ると、敵国の王の名を付け、太子は自らの名を名乗り、「この国の太子が敵国の王の頸を斬る!」と叫んで人形の頸を斬りました。使いの者も、軍の将軍を召して、頸を斬るまねをしてから、追い返しました。
使いの者は自国に帰るとこのことを国王に伝えました。国王はこれを聞いて大いにお嗔(怒)りになり、数知れぬほどの軍勢を引き連れて進軍しました。国境を越えると、使いをやって太子を召しました。
太子はこれを聞いても、一人の兵も連れようとはせず、怖れる様子もなく、「さっそく参ろう」と仰り、使いを帰しました。
その時、かつて従うべきであると勧めた大臣・公卿は、「やはりこうなるではないか」と言って多くが敵国に投降しました。また、残って太子と共に命を棄てようと、空を仰いでいるものもありました。
太子はすぐに出向こうとしました。その際、備えて行ったものがありました。
足の高い床子(椅子)三脚、瓶子(水差し)一つ、硯、墨、筆、これらを髪をみずらに束ねて結った童子二人に持たせました。一脚の床子には太子が腰掛け、一脚には瓶子を置き、もう一つには硯を置いて墨をすらせました。これを見て、敵方の軍勢の多くの兵は盾を叩いて大笑いしました。
国王は「このように硯、墨、筆を持ってきたのは、投降する為に文を書こうとしているのだな」と思い、「こちらの攻撃を防ごうとするのであればこのように出向いて来ることはなかろう。しかし、何をするか見届けたならば、頸を斬ってくれよう」と思いながら見ていました。
太子は濃くすらせた墨に筆を浸して、瓶子の首にぐるりと書き巡らせました。その後筆を置いて釼を抜き、瓶子の首に当て、敵国の王に向かって告げました。
「多くの軍勢も、私の釼一本に及ばない。おまえたち、王を始めとして兵たちも皆、おのが頸を見てみよ。この瓶子の首に書き巡らした墨は、おまえたちの頸にも巡らされている。私がこの瓶子の首を一刀のもとに打ち落としたならば、おまえたちの頸も墨で書き巡らしたところから落ちてしまうだろう」
敵国の王も、兵たちも互いに頸を見合いました。誰一人として墨から遁れた者はなく、瓶子に書かれたように墨が頸の周りを巡っていました。太子は眼を怒らせ、今にも瓶子の首を打ち落とそうとしています。
その時、敵国の王はただちに馬から降り、手を合わせて太子に向かってひざまずきました。兵たちは皆、弓を外し、太刀を投げ捨て、顔を地面につけて伏しました。王は請いました。
「私は今日より後、太子を我が君としてかしずきたてまつります。太子よ、願わくは頸を斬るのを免じてください」
すると太子は柴を焼いて手に付け、「私は帝位につく」と宣言なさいました。敵国の王は「家臣としてお仕えする」と言って帰還しました。
このような国は滅多にあるものではないと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※柴を焼く…古代中国の儀式で、柴を焼いて天を祭り即位の礼を行うこと











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