巻10第20話 直心季札釼懸徐君墓語 第二十
今は昔、震旦の周の時代に、季礼という人がいました。武芸に秀でており、真っ直ぐな心根の人でした。
この人が国王の命により、謀反を起こした者たちを討伐するために他州へ行こうとしていた時、突然大雨が降ってきてたちまち洪水となり、道が水没して進めなくなったので、徐君という人の家に宿を借りることになりました。
それから二ヶ月後、ようやく雨が止んで晴れてきたので、徐君の家を出て進軍を再開しようというとき、季礼は徐君に言いました。「私はあなたの家に宿を借りて二ヶ月も居させていただきました。この御恩を返さなければなりません。ところで、私には命と同じくらい大切なものがあります。今我が身に帯びているこの釼(剣)です。これをあなたに差し上げたいと思います。ですが、私はこれから謀反を起こした者共を討伐しなければなりません。ですから、私は討伐が済んで帰還するときにあなたにこの釼をお渡ししようと思います」そうして季礼は家を出て戦へ向かいました。
そして一年後、季礼は無事に謀反者の討伐を果たし、頭領の頸を刎ねて帰還するときに、徐君の家を訪れて釼を渡そうといたしますと、徐君の家の門は荒廃し、家があったはずの場所は何もない荒れ野となっていました。
季礼はこの有り様を不思議に思って、一人の老人に徐君の行方を尋ねますと、老人は「徐君ならとっくに死にました」と言います。季礼が墓の場所を問いますと、指を指して「墓はあそこですよ」と言いました。その上を見ると、三尺ばかりの榎の木が生えていました。
季礼は老人の言葉に従って墓を訪れ、帯びていた釼を解き、それを榎の枝に掛けて、約束を果たした挨拶をし、徐君の恩に酬いて立ち去りました。
心ある人は、このようにするものなのです。身を守るものでもあり、家宝ともすべき釼ではあるけれども、約束を忘れなかったために、約束を交わしたその相手がもうこの世にいなくても、釼を墓の木に掛けて帰ったのだと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香・草野真一
※季札…呉王の第四子。したがって本話での「国王」とは(春秋戦国時代の)呉王である。徐君のいるあたりは長江より南と考えられ、「雨期」と「乾期」がある気候だったのだろう。二ヶ月の足止めとは雨期のできごとと考えられる。
※榎…日本の榎(エノキ)ではなく、キササゲの一種であるとの説がある。










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